• 3 年前
メルケル首相新年挨拶に日本語字幕を付けて載せることが私の恒例となったのは、彼女が2015年避難民受入れのために、ドイツ中のキリスト教民主同盟CDU党員集会での激しい反対にもかかわらず、政治生命をかけた時からだ。
CDU内、そして国民の反対が高まるなかで、「基本法の庇護権には制限がない。救いの手を差し伸べないなら、私の祖国でない」と明言して、2015年は100万人以上の避難民をドイツに受け入れ救ったからであった。
確かにメルケル首相は2011年の脱原発宣言でも、与党内の過半数は原発維持を支持していたにもかかわらず、福島原発事故直後に倫理委員会を招集し、公共放送でその議論を何日にも渡ってガラス張りに公開し、圧倒的多数の脱原発世論形成でこれまでには在り得ないことを起こした。
もっとも避難民受入れた後、各地でトラブルが拡大し、世論調査でもメルケル支持が急減したことから、翌年からはトルコとの折衝で避難民収容施設をトルコに造り、そこでドイツ受入れ審査を厳しくしたことから激減していったが、メルケルが自国民であろうが他国民であろうが全てを投げ捨てて、絶えず弱者を救おうとして戦ったことは、これからの困難多き世界の未来に、一筋の明かりを灯したことは確かである。
今回のスピーチの終わりでも、自ら述べているように、最後の新年挨拶であり、来年から人々の希望を鼓舞するスピーチが聞けないことは非常に残念である。
彼女はその新年挨拶の終わりに、「現在のコロナ禍にあるドイツは15年間の首相在任中最も困難な時ですが、全てに心配と懐疑があるにもかかわらず、かくも希望を持って新年を迎えたことがありません」と結んでいるのは、まさにメルケルの幼少期からの生きる術なのだろう。
彼女のプロテスタンス宣教師の父は、東ドイツ誕生直後にハンブルクから移住し、「教会とマルクス主義の平和的共存」を主張したことから、組織批判者として家族も絶えず監視され、困難な時代を自己主張封印で育ったと言われているが、封印の下で理想を育んでいたからこそ、現在のメルケルがあると言えるだろう。
統一後コール首相の下でも、自己主張封印を徹底して、コールを支えたからこそ頂点に上り詰め、金融危機を契機として、その封印が徐々に解かれ、キリスト教民主同盟を大きく変えるだけでなく、現在の強者の新自由主義世界とは異なる弱者に優しいドイツに導いたと言えよう。
それ故にドイツ政界から退いた後は、メルケル政権を長年に渡って支えた腹心の現在欧州委員会委員長(ウルズラ)ライエンがEUを率いていることから、国連に場を移して、世界のメルケルになって未来に希望を灯してもらいたい。

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