信心の本質、即ち生きると言うことの本質が確かなものとして自らの心の中に肚決めが出来ていなければならない。そのことを教わっていなければならない。ただこの世に生を受けたと言うだけでは我情我欲をを育てることのみで人生を終わってしまうだろう。この世の本質は人間自らのの心を育てることにある。
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00:00ご理解第57節
00:30ただ、頼りになるのは神様だけと悟るところから、自ずと一心の信心が生まれ、真の世界に住むことができる。神を杖につけば楽じゃと言われるのに楽でないなら、神様以外のものを頼りにしている証拠である。金や物や人もみな向こうの方からやってくるもの。
00:53向こうの方からやってくる。その神様が引き寄せてくださるというわけですけれども、ただ信心もしないのに、ただ寄ってくる。
01:15いわゆる棚からボタ持ち的に、それこそ金や物や人が向こうからやってくる。ということではないと思いますね。
01:28そこの前提に、信心をさせていただけば、それも誠の信心をすれば、金や物や人も、が向こうからやってくる。神様が引き寄せてくださる。
01:46私どもが必要な、私どもが必要なものが必要に応じて、神様が寄せてくださるような、お働きをいただけられるようになる。
01:58これは、誠の信心をすれば、ということだということですね。
02:06ただ、何と言いましょうかね、自分の好き勝手をしていて、そういう世界に進めれるとは思いませんね。
02:20もし進めれるのならば、誰でもがそういう世界に、金や物や人が向こうから寄ってくるような、神様が引き寄せてくださるような、生活というのでしょうか。
02:33日々は、誰でもが遅れているはずで、あるはずなのに、そうなっていない。
02:40ということは、誠の信心をしていないからだということにもなりましょうね。
02:48今朝、いただきますのは、その信心の本質というもの。
02:54信心の本質、すなわち、これは、生きるということの本質だとも言えると思います。
03:06その信心の本質である、その信心の本質である、生きるということの本質である、ところのものを、確かなものとして、私どもの心の中に持っていないならば、
03:24例えば、それこそ、信心しているのに、どうしてこういうことが起こるであろうか、と思うようなことも起こってくる。
03:36それは、信心をするということが、あるいは、生きている、生きるということが、自分の身欲、身勝手を満たすことのために、
03:49ああしたい、こうしたい、あれが食べたい、これが飲みたい、ということ、それこそ、あれを作りたい、これを何とかしたい、といったような、
04:04いわゆる、自らの画像、画像によるところの、そこから出てくるところの何かを、達成するというのでしょうかね、見出すというのでしょうかね。
04:19そのことのために、私どもが、私どもが生きている、これは一つは、夢を叶えるために生きている、とも言われますけれども、
04:32その夢というものが、ただ単に自分の、何と言いますかね、わがままな夢であったり、
04:42魅力、魅勝手、魅楽のためというのでしょうかね。
04:46いわゆる、自分の欲を満たそうとすることのための、そういう、欲というのでしょうか、
05:00願いというのでしょうか、そこから出るところの夢である。
05:05それこそ、スポーツ選手、何々選手になりたい、ということであったり、
05:11その、アイドルになりたい、ということであったり、
05:16その、まあ、夢一人ですか、
05:18そういうものであっても、まあ、50歩、100歩で、似たようなものだと思いますね。
05:27そういう夢を叶えようとする、一生であったり、
05:31また、そのことのために、いわゆるおかげですね、
05:37自分にとって都合が良いことが起こってくる、
05:41その都合の良いおかげを求めての信じ、
05:45あるいは、生活においてもそうです。
05:48もっと楽になりたい、楽を求めての信じ、
05:52これは、お金でも同じですね、
05:56お金を儲けるための信じ、お金が儲かりたい、
06:01また、お金儲けのために一生懸命働く、
06:04と、まあ、いろいろ、いろいろなありとあらゆる、
06:08その目的というものがあるわけですけれども、
06:13そういう、いわゆる、自分自身の願い、
06:19いわゆる、これは願い、
06:20まあ、本当の願い、神様が願われる願いではなく、
06:26私どもが、画像、画像からの願い、
06:31何も信じをする前に、
06:34まあ、何と言いましょうかね、
06:37ただ、自らの心の中に分け凝ってくる、
06:42ああ、ありたい、こうありたい、幸せな生活をしたい、
06:45もっと楽な生活でありたい、
06:48といったような願い、
06:50自分自身を叶えるための人生であったり、
06:55新人である、
06:57と、
07:00そこで止まっている間は、
07:05いわゆる、
07:06新人の本質、
07:08生きるということの本質、
07:10自分自身に触れていないわけですから、
07:16嫌なことが起こってきたり、
07:18難儀と思われるようなことが起こってくる、
07:21どうしてこんなことが、
07:24こんなことから早く逃げ出したいな、
07:27といったようなこともやはり起こってきますね、
07:31それこそ、
07:35自分の思うようにいかないのが、
07:38この人生だ、
07:40とも言われますしね、
07:42私どもが、
07:47新人の本質、
07:50生きるということの本質、
07:53それを、
07:54確かなものとして、
07:55確かに、
07:57腹決めを、
07:58しておかなければ、
08:00まあいわば、
08:02悟っておかなければ、
08:05この世は、
08:06この世は、
08:06この世だ、
08:07この世界で、
08:09終わってしまうということですね、
08:13まあ中には、
08:15あの人は、
08:16不甲が良かったんだな、
08:18といったような、
08:19生き方をすることも、
08:20ありましょうけれども、
08:23大概は、
08:24この世は、
08:25この世だ、
08:25この世界、
08:27としか思えないかもしれませんね、
08:30その、
08:33新人の本質、
08:35生きるということの本質は何か、
08:38それはもうまさしく、
08:41私どもの心を育てる、
08:44心を磨く、
08:46ということにつきますね、
08:50そこに、
08:50生きるということの焦点が定まらないならば、
08:57どんなに新人を手厚くしている、
09:00といっても、
09:02もし、
09:03その、
09:04新人を手厚くする、
09:05その、
09:06本質というものが、
09:09自らの心を育てる、
09:11自らの、
09:13魂を磨く、
09:14ということに、
09:16焦点を当ててのものでないならば、
09:19やはり、
09:21この世は、
09:22この世は、
09:22この世だ、
09:23この世界といったようなことが、
09:25起こってきたときに、
09:27まさに、
09:28この世は、
09:28この世だ、
09:29この世界で、
09:30終わってしまいますね、
09:33それは、
09:34生きるということの本質を、
09:37自らの中に確立していないからだ、
09:40新人の本当の姿、
09:44新人の本質を、
09:46まあ、
09:47理解というのか、
09:48まずは理解からでしょうけれども、
09:52悟っていないからだ、
09:53ということになります。
09:54ですから、
09:56新人の本質であるものは、
09:59それは、
10:00私どもは、
10:01人間一人一人が、
10:04自らの、
10:05まあ、
10:05この世に生を受けた目的というのでしょうか、
10:09それを、
10:09確かなものとして、
10:11認識させる、
10:13腹決めをさせる、
10:16ところにあるのではないでしょうかね、
10:20もしそれができていないならば、
10:23その新人、
10:24その宗教と言えるのかもしれませんが、
10:27その新人をするものとして、
10:31まあ、
10:32本当のことを伝えていない、
10:34ということになりますね、
10:36また、
10:36本当に人が助かる、
10:38ということには、
10:39なっていない、
10:41本当に人が助かる、
10:43ということのためには、
10:46私どもが、
10:47その、
10:48生きるということの本質が、
10:52心を磨くことにあるのだ、
10:54魂を清めることにあるのだ、
10:57この世には、
10:58それこそ、
10:59魂を磨きに来たのだ、
11:01ということが、
11:03本然と、
11:04分からされていなければならない、
11:07その、
11:07そのことを分からせることのために、
11:11信心がある、
11:13信心の傾向がある、
11:16とも言えると思いますね、
11:20私どもの中に、
11:22それこそ、
11:24その信心の本質とも言うべきもの、
11:27私どもが、
11:28生きるということの、
11:30その本質とも、
11:32言えれるもの、
11:34そのことが、
11:35はっきりと、
11:38早決めされていなければならない、
11:42その早決めをさせることのために、
11:44信心の傾向がある、
11:47あるいは、
11:47さまざまな教えがある、
11:50ということでもありますね、
11:54で、
11:54それで、
11:55その、
11:57まずは、
11:58自らの、
11:59心を育てることのために、
12:02いわば、
12:03私どもの一生があるのだ、
12:05さまざまな出来事が起こってくるのだ、
12:08信心するのに、
12:11どうしてこういうことが、
12:13起こってくるであろうか、
12:15というようなことも、
12:17つまるところ、
12:18私どもの心を育てることのために、
12:21起こってきているのだ、
12:24ということが、
12:26やはり、
12:26悟られねばなりません。
12:29そして、
12:30では、
12:30どういう心を、
12:32作ることのために、
12:34育てることのために、
12:35起こってきているのか、
12:38ということになったときに、
12:41それが、
12:42師匠大坪総一夫氏が教えてくださる、
12:45天の心であり、
12:46地の心であり、
12:48日月の心、
12:50教祖様が教えてくださる、
12:52天地日月の心になること、
12:54関与ない、
12:56という、
12:57関与な心、
13:02が、
13:03天地日月の心、
13:04ということになります。
13:06その、
13:08天地日月の心を、
13:10身につけること、
13:12目指すということ、
13:15そこに、
13:16焦点が当てられての、
13:19日々の生活、
13:21ということになっていないから、
13:24この世は、
13:25この世だ、
13:26この世界で終わってしまう。
13:27自分の思い通りにならないと腹が立つ、
13:33といったような、
13:35いわゆる、
13:35柔らぎ喜ぶ我が心からも、
13:38と、
13:39のいた世界というのでしょうかね。
13:41心を育てることに、
13:45焦点を定めて、
13:46初めて、
13:48柔らぎ喜ぶ我が心も、
13:49いただけてくる、
13:51のですね。
13:52どうでも、
13:55私どもの、
13:56真珍の本質というもの、
13:58生きるということの、
13:59本質というものを、
14:02自らの心の中に、
14:04確かなものとして、
14:06確立させて、
14:07いただかねば、
14:08なりませんね。
14:10どうぞ、
14:11よろしくお願いいたします。
14:14ありがとうございます。
14:14ご視聴ありがとうございました。