福島三年目の捜索 テレメンタリー2013

  • 11 年前
NNNドキュメント 3.11を忘れない36 KFB福島放送制作 2013.10.24.

震災の翌日から息子と父親を探し続けている上野敬幸さん。娘と母親は津波で亡くなった。捜索3年目になり、福島第一原発の近くにまで及んでいる。
上野さんの自宅。津波は1階の天井付近まで及んだ。消防団員だった上野さんは、津波の直後に職場から駆けつけ、生存者を救出していた。「まさか自分の家族が犠牲になっているとは思わなかった」と話す。今も行方不明の長男。娘は2日後に遺体で発見され、安置所まで抱きかかえて連れていったという。「親は皆自分の事を責めてると思う。最低な親だと思っていると思う。息子を抱きしめて謝りたい」と話す。
震災翌日から上野さんは、仲間の消防団員と共に毎日のように捜索を続けた。その頃、南相馬市のこの地区は屋内退避区域に指定され、警察も自衛隊もほとんど捜索に来なかった。上野さん達は約40人の遺体を見つけた。上野さんは震災の年の7月に復興浜団というボランティア団体を作った。全国から集まるボランティアを指揮して、毎週土日に南相馬の沿岸でがれきを片付けている。砂の中には大量のがれきが埋まっていて、がれきがあるのならば遺体もあるかもしれないと思っている。5月から上野さんを手伝っている有田さん。有田さんは当時の上野さんに「だまってついていくしかできなかった。表現できないようなオーラだった」と話す。
上野さんはこの春、元の家の隣に新しい家を建てた。資金は元の家の保険でまかなった。震災の時、奥さんのお腹にいた子供は9月に生まれた。名前は長男と長女の名前から1字づつ使ってつけている。震災前から乗っている上野さんの車の後部座席の窓には、子供たちの手の跡がついたままになっている。「拭くことができない」と話す。
復興浜団には、東京電力社員の山田さんが仕事が休みの時に参加している。山田さんは、上野さんが初めて会った東京電力の社員だった。当時、山田さんは亡くなった人達の家を訪れ、手を合わせて回っていたという。上野さんは「東京電力として見るのではなく、一人の人として見ている」と話す。山田さんは「皆さん心の底はすごい憎しみがある。そこを知った上で一緒に何かを考えていくことが私のできること」と話した。
東京電力福島復興本社の石崎芳行代表が上野さんに会いにきた。お詫びがしたいという申し出に上野さんは「撮影なし会いに行きたい」と会いにいった。2時間後、上野さんは「すごく怒ってしまった。」と話す。

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