• 12 年前
「原発の一番の被害は何なのか
自分達が落ち着いて 家族が足をつけて安心して暮らせる時間を
宙吊りにされて放ったらかしにされて待たされて先行きの見えない」
(船橋淳監督)

映画『フタバから遠く離れて Nuclear Nation』公式サイト
http://nuclearnation.jp/jp/

映画『フタバから遠く離れて』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=xgBEAJ_Flu0

フタバから遠く離れて 予告編2
http://vimeo.com/45109825

http://www.jtgt.info/sites/default/files/2012-11-12.pdf

フクシマ双葉町の避難民を記録した傑作ドキュメンタリー
『フタバから遠く離れて』(下)
被災者たちの<時間>を写しとる映画的意思
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/2012110500012.html
牛の殺処分反対を主張する双葉郡・浪江町の酪農家、吉沢正巳さんは、
「この牛たちは生き証人、絶対に生かす」と奮闘しているが、
やがてカメラが写すのは、避難した多くの酪農家の飼育場で餓死して
ミイラ化した牛たちの、無残に「変わり果てた」姿だ。
こうした一つひとつの細部に、どんな「メッセージ」よりも雄弁な原子力政策に
対する舩橋の異議申し立てが、映画的な強度として宿っているのである。

舩橋淳監督『フタバから遠く離れて』
町長の"悔悟"と牧場主の"覚悟"―「原発の町」を逃れた人たちの今
http://www.labornetjp.org/news/2012/1015eiga
井戸川克隆町長が、原発誘致の歴史を苦渋の表情で語るシーンは考えさせられる。
かつて福島第1原発5、6号機の建設で巨額の「原発マネー」を得て
町は潤い、「原発はいいなあと思った」と。
だが、年々カネが入らなくなり、財政破綻に追い込まれて、やむなく新たな建設
承認に踏み切った、その原発経済のしがらみから抜けだせないからくりを語る。
「原発は罪(ざい)の方がものすごく大きい。
誘致そのものが失敗だった」と悔やむ。

「希望の牧場」のシーンも印象深い。
ここの牧場主は、カネにならない被曝した300頭の牛の面倒をみている。
彼は牛と運命を共にする覚悟を吐露する。
近隣の牛舎を案内してもらうと、餓死した大量の牛がミイラ化している。
その惨状に息を呑む。
これでも原発を推進しなければならないのか
人類の明日が予感されて暗然となる。

天皇と棄民『フタバから遠く離れて』text 加瀬修一
http://webneo.org/archives/5103
双葉町の井戸川町長は、カメラに向かって静かに語る。
「世界各地にいっぱいいる自分の住むところを追われた民族。
この方たちが、いまどういう思いをして片隅で生活しているか
ということが嫌というほどわかるようになった」と。
この言葉にはたと気づかされる。
この映画は昨今ジャンルとして括られるほど公開されている
「震災映画」でも「原発映画」でもない。
住む土地を奪われ、コミュニティを破壊された人々を描いた「難民映画」だ。
日本はいま、自国に難民を抱えている。

最後に井戸川町長は「原子力発電所は、功罪の罪の方がもの凄く大きいと
いまは考えている。誘致そのものは失敗だったと思います」と語った。
この発言には大変な覚悟があったと推察される。
井戸川町長とその言葉を引き出すまで真摯にコミュニケーションを
取り続けた舩橋監督に心からの敬意を表したい。
さらに続いた言葉「全く放射能にまみれてない東京の方たちが
栄えたんですよね」が痛烈に突き刺さってくる。
警戒区域に置き去りにされた(残さざるを得なかった)牛の屍骸が
累々と横たわる牛舎の光景。
それは未だに原発に依存し続ける私たちの未来を予見しているかのようだった。

いまこの国は、天皇から子どもまで原発政策の抱える問題の「当事者」である。
だからこそ、ニッポンから遠く離れた視点でこの国の構造と民族を見つめ直し、
考え直さなければならない、「何故それでいいのか」と。
『フタバから遠く離れて』は、流浪の民となってしまった双葉町民の怒りと
悲しみを静かに描きながら、深く力強く私たちにそのことを訴えている。

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