• 13 年前
被災地で痛みと悲しみを背負われているお一人おひとりに神さまの慰めを心よりお祈り申し上げます。

私どもの教会で結婚式が続いています。その式の中心は新郎新婦の誓約です。そこには決意があります。愛することには決意の部分が少なからずあります。

でも、今日はちょっと違った視点からこの愛することを考えます。イエスは「隣人を愛する」たとえに、「たまたま、・・・」(31節)と言い始めました。これは「偶然に」ということばです。

この「たまたま」の出来事は、(1)神を愛し、人を愛する、ということ(機会)は、誰にも起こること。特別な人だけがなせる命令ということではないこと。(2)神を愛し、人を愛するとは「彼を見てかわいそうに思い」という、本当に小さなことから始まること。(3)そして、それによって自分たちの予定や計画、目標が変わることを悪いこととしないこと、を教えています。

たまたまそこを通りかかったサマリヤ人にとって、重傷の人を介護するような十分な救急用具を持ち合わせていなかったでしょう。でも倒れている人を見て、かわいそうと思ったときに、そこにアイデアが出てきました。何とかしようとするところに必ず何かが起こります。

私たちも神の不思議な「たまたま」に出会うことをいとわない者でありましょう。

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