• 8 年前
ヴィパッサナー冥想

1. はじめに

比丘たちよ、この道は、
もろもろの生けるものが清まり、愁いと悲しみを乗り越え、
苦しみと憂いが消え、正理を得、
涅槃を目のあたり見るための唯一の方法です。

 ヴィパッサナー(VIPASSANÂ)は、お釈迦さまが、我々に確実に悟りを体験できるように教えられた実践方法(修習,瞑想)です。二五〇〇年もの歴史を通じて、テーラワーダ仏教(上座仏教)の長老たちによって守られ、今日まで連綿と伝えられてきた、誰にでも簡単に実践できる、とても合理的な「こころを育てる」方法です。みるみるうちに心が成長していく過程を、ぜひご自分で試してみてください。

 本来の『仏教』とは、自ら覚醒するための実践法なのです。

2. ありのままに観る

 ヴィパッサナーの実践法は、とてもシンプルです。ただ、今の自分に気づく。そこに、深遠な世界が広がってくるのです。パーリ語でvi ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、passanâ パッサナーとは「観察する・観る・心の目で見る」という意味です。「今この瞬間の自分自身をよく観る」ということです。瞬間瞬間に起こる、思い込みやしがらみを理解できるvipassanâ ヴィパッサナーは、「気づきの瞑想」や「洞察の冥想」ともいえるでしょう。

 ヴィパッサナーは、一つの型にはまった瞑想法ではありません。特別な世界に到達したり、人と違う超越的な力を得るためのものではありません。また、なにかを信ずるという宗教でもなく、イデオロギーや主義でもありません。あらゆるとらわれや執着から生まれる悩み苦しみを離れ、苦を超える方法なのです。普通の生き方と変わった行法ではなく、日常の生き方そのものに智慧の光を照らしてみることです。

 ヴィパッサナーは“今という瞬間に完全に注意を集中する”実践です。何をしていても、“今・ここの自分に気づいていく”こと。それが、ヴィパサナーです。自分を客観的に“よく観る”のです。

 今ここの一つ一つの瞬間に意識を向ける。心地よいことでも不快なことでも、ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観るのです。葛藤をシャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく、ただ気づくだけ。それが観るということです。それが苦悩を超える道です。安らぎが訪れ、心と体を癒すことになるのです。波立っている水面が穏やかになってすべてを映し出すように、深い智慧と洞察力が生まれてくるのです。

 ヴィパッサナーは自分の内部から、自分の一つ一つの瞬間の体験から、学びとるものです。未来に理想を描いて、そこに到達するために努力するのではありません。確実な“今・ここの私”を徹底的に掘り下げようというのが、ヴィパッサナーの実践です。

3. 頭の中のガラクタを片づける

 私たちの日常生活のあり方は、すぐ評価を下したり、防御や攻撃をしたり、落ち込んだり舞い上がったり、無意識のうちに自動的に反応しています。私たちは、その自動反応に莫大なエネルギーを使い、心はあちこちさ迷って思考や幻想の中を漂っています。

 ヴィパッサナーを実践するためには、ひとまず頭の中のガラクタを整理しましょう。きれいな部屋にしたければ、まずガラクタを整理することから始めなければなりません。

 頭の中のガラクタとは、「私には能力がない」「神秘体験をしたい」「病気を治したい」「こうなりたい、ああなりたい」というようなものです。そういったガラクタで頭が満杯である限り、何も得られず、成長することもできません。

 希望や期待や願望などのガラクタはひとまず置いて、自由で柔軟な心、子供の無邪気さに戻って始めることが大切です。

4. 自分の世界に徹底的に戻る

 ヴィパッサナーはいつでもどこでも実践できます。今ここの動作、行動、感情に気づいているかどうか、それだけのことです。

 自分を徹底的に観ることです。自分が自分自身の主宰者でいられるのは、このヴィパッサナーを実践している時だけとも言えるでしょう。それ以外は、自動的な反応で行動したり、他人や外部から操られているようなものです。

 私たちは、ちょっとしたことで感動したり、悲しくなったり、暗くなったりしてしまいますが、このまだ育っていない子供のような心は成長できるはずです。

 ヴィパッサナーをしていると、人からなんと言われようと、誉められようとけなされようと、心の中に感情の波は起こらない。そういう落ち着いた心が出てきます。そしてヴィパッサナーがさらに進んでいきます。こうして心が成長していくのです。

※日本テーラワーダ仏教協会のHPから引用
http://www.j-theravada.net/

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

Category

📚
教育

お勧め