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00:00今日は、やって到来社会体験その後をお送りします。
00:17以前はしばしば放送していた社会体験なんですけれどもやって到来の料理に挑戦してくれたギャルとかそういった方々がさまざまな社会見学をしてもらうというコーナーになったんです。
00:35そうですね実はね21年前っていうからこの番組長いね21年前にこのね能登半島の輪島ここでね地元のおかみさんと一緒にね2日間ね朝市体験した高校生がいたんですよ覚えてますか?
00:58分かんないな高校生って言ったってギャルだなその高校生が成長して大人になって朝市体験した経験からねどうしてもね震災にあったあの能登にもう一回行ってみたいこういうことでその復興がどうなっているのかおかみさんどうなっているのか会いに再び行きました。
01:27早速目次からご覧いただきます。
01:31能登の輪島で朝市を体験したりのさん
01:37ここが朝市。
01:39朝市どう?
01:40朝市。
01:41何もなくなっちゃった。
01:4421年前。
01:4521年前、極寒の中、輪島の朝市の仕事を体験。その時にお世話になった方に会いたい。その思いが能登半島地震から1年後に実現しました。
02:01しかし目の当たりにしたのはいまだそのまま残っている震災の跡でした。
02:10このように一体誰も住んでないですよね。
03:13渋谷の街頭インタビューで選ばれた2人。
03:18当時高校生だった2人は能登で社会体験することに。
03:24早速行こう。
03:25早速行こう。
03:26早速行こう。
03:27早速行こう。
03:28早速行こう。
03:29これから何をやりますか?
03:30受付のお姉さんも絶対。
03:32必要です。
03:342人に集めます。
03:36というわけで、お2人さんに行ってもらうところはこちら。
03:41え、ノーツ?
03:43え、何?
03:44ノーツ2県だし。
03:46ノーツってどこ?
03:47東京、赤坂。
03:49ノートって書いてある。
03:50ノト半島。
03:51ノト半島って聞いたことある。
03:53はい。
03:54はい。
03:55はいはい。
03:56何か、ノト、何かその辺だよ。
03:57これ。
03:58ダメだいこれ。
04:00行き先はノト半島輪島市、その輪島の朝市で社会体験をすることに。
04:07やってトライ社会体験、輪島朝市編。
04:12翌朝5時、いよいよ体験開始。
04:16どうしたら東京ではこの時間で寝るぐらい。
04:19はい。
04:20はい。
04:21何かさ、どちらかっていうとさ、ご上司くんやってる。
04:25すごい。
04:26はい。
04:27はい。
04:29輪島の朝市では漁師が取ってきた魚を売るテントを毎朝設営。
04:352人もかじかむ手でお店を組み立てます。
04:38しびれるっしょ。
04:40これはそこの横に水あるね、水道。
04:44うん。
04:45その横に置いてください。
04:47気温3度、30分かかってやっと完成。
04:51うわっ。
04:52うわっ。
04:53ひらめだ、ひらめだ。
04:54朝市開店の8時、魚の仕入れから春子さんが戻ってきました。
04:59今日の目玉は1本3万円の天然ぶり。
05:03乾物や加工品を売る店が多い中で、米谷さんは鮮魚一筋。
05:09見事な包丁さばきにトライ娘は呆然。
05:13一方、こちらはメギスと格闘中。
05:16出て、凍ってるよ、悪いけど。
05:20この辺、感覚ないよ、悪いけど。
05:23ほんとに。
05:25あれから21年、母となって子育て奮闘中。
05:29さらに家族のために毎朝早起き。
05:34そして会社で働く里野さん。
05:36今回は有給休暇をいただきました。
05:40娘はおばあちゃんにお願いして、旦那は仕事してます。
05:47一緒に社会体験をした直美さんも二児の母。
05:50今回は子供の世話と仕事の都合で参加できませんでした。
05:55空港から輪島市街に入ると。
06:00あ、これ左行ってみようか。
06:02電柱すごい斜めになってる。
06:04電柱電柱。
06:06すっかり風景が変わってしまった中、朝一のあった通りを目指します。
06:13朝一のあった通りを目指します。
06:20そうだってここだよ、サイドが黒いから。
06:27ここが朝一、朝一通り。
06:29何もなくなっちゃった。
06:32朝一通り。
06:33朝一通り。
06:34何もなくなっちゃった。
06:35This is the side, it's a black color.
06:39This is the Asaichi, Asaichi.
06:43Asaichi, there is nothing to do.
07:05Asaichi, there is nothing to do.
07:29震災の大火事で建物がすべて焼失した本町のあさいち通りは和島あさいち周辺再生プロジェクトによって整備され広大な更地になっていました。
07:48震災の大火事によって焼きました。
08:07実はこういうのを持ってきたんですよ。
08:09何ですか?
08:11昔に撮った時の写真があって。
08:1721年前ここで撮った写真。
08:21これは Asaichiの場所?
08:23はい、行った時の。
08:25全然わかんないですよね。
08:27建物がなくなっちゃって何にもわかんない。
08:32本当にね、ここまでないと、びっくりしますね。
08:45トラックだらけですよね。
08:49米谷さんの自宅へ向かう途中、狭い道に数多くのトラックが列をなして解体作業が行われていました。
09:01済んでない。
09:02通行止め。
09:03道の先は土砂崩れの跡が残ったまま。
09:07水害ですか?
09:08何?
09:09どうなってきた。
09:10水害。
09:11どうなってきた。
09:12水害。
09:13どうなってきた。
09:14水害。
09:15行く先々で数多くの家々が震災当時のまま。
09:18残されていました。
09:19どうなってきた。
09:20どうなってきた。
09:21水害。
09:22行く先々で数多くの家々が震災当時のまま残されていました。
09:26とりあえず鳴らしてみましょう。
09:27とりあえず鳴らしてみましょう。
09:28とりあえず鳴らしてみましょう。
09:35行く先々で数多くの家々が震災当時のまま残されていました。
09:45とりあえず鳴らしてみましょう。
09:50とりあえず鳴らしてみましょう。
10:00あいい。
10:01あっ、Dinnoです。
10:05分かるのか。
10:09本当 pudお湊なります。
10:10こんにちは
10:11元気ですか?
10:15はい。
10:16元気です。
10:18いや、お姉さんになったわ。
10:19元気な米谷さんに会えて一安心21年前レイコさんが朝市での仕事を細かく教えてくれたのです7年前リフォームした家も被災しました
10:49基礎からリフォームしたという家は順半壊だったそうです
11:49地震の後去年亡くなりました
11:51変わらない
11:53変わらないですか?
11:54私たち行った時もあんな感じでしたよね?
11:56そうそうと思うんですけど
11:57変わらないですね
11:59すごい素敵なお家で
12:01ありがとうございます
12:03お邪魔してますすいません
12:05ここに座ってます
12:06何と同じ思うかねば
12:07歩けよう
12:08歩けよう
12:09歩むような気やすみ
12:11本当に
12:12本当に
12:13ここに座ったお店の場所はどの辺ですか?
12:16震災前に店を出していた場所へ案内してもらいました
12:21ここも全部置いてる
12:23お店じゃなくて
12:25ここから
12:33ここから
12:35ほらこの服があるやろ?
12:37はいはい
12:38ほらテントが飛ばないように
12:40紐でほら
12:41紐でこう縛っておった所
12:43テントの台と
12:45ああこんなのあった
12:4721年前にテントを張った場所
12:51更地になってしまった浅市通り
12:55まだ再開までの先が見えないといいます
13:00何年かかるか分からんもんね
13:05昔からこの場所なんですよ
13:11母の台から
13:12ばあちゃんの台から
13:13昔からこの場所なんで
13:15辛いですよね
13:18そういうのもね
13:19びっくりしたわ
13:20本当に
13:21ねびっくりしますよね
13:23いやー
13:26びっくりしたね
13:28高校生時代の北海道を呼びさせて
13:30野党半島って言ってた人が
13:32ガングロからね
13:33でもそのしっかりしたりのさん
13:35まあ本当にね
13:36米谷さんにお会いしたいと
13:38ずーっと思ってたんだけど
13:40なかなか連絡行こうと思っても
13:42コロナがあったりとか
13:44まだこの震災があったりして
13:46なかなか行けなくて
13:48今回ようやくということだったんで
13:50そうかそうか
13:52コメンターニさんはね
13:53震災の後
13:54金沢の方に
13:55避難船
13:56結婦さんがいらっしゃる
13:57で
13:589月半ばに和島に戻って
14:0010月頃から
14:01お仕事も再開されたという
14:03ようやくな感じですよね
14:05だけど
14:06町の復興が全然進んでないというね
14:09あの映像でよく分かるね
14:12最近ちょっとニュースでも
14:14なかなか取り上げられなかった
14:16ね
14:17最近ちょっとニュースでも
14:18なかなか取り上げられなかった
14:19なかなか取り上げられなくなりましたけど
14:21リノさんがね
14:22あれだけこうゆっくり
14:23いろいろなところを歩くでしょ
14:25その歩く姿の周りにある景色がね
14:29ずっと続くじゃないですか
14:31ああいう映像ってあんまり見ないんだよな
14:33そうですね
14:34ざっとお見せするぐらいな感じですもんね
14:36そうだからね
14:37ああ1年3ヶ月じゃね
14:39復興ってこんなに進まないものなんだ
14:42ってことがよく分かるよね
14:44イメージ的にはもう
14:45ある程度解体が進んでたりとかするけど
14:47斜めになってるがまだ残ってるっていうのがね
14:51放置されてるのもたくさんあるしね
14:55私は地震が発生しから7階の都に入ってるんですけれども景色は少しずつ整備はされているけれども人が戻ってこないそうだね確かに里乃さん歩いてる時に多分ほとんど人とすれ違うんですね工事してる方ぐらいですもんね人がいないねにぎわいが返ってこないっていうことでちょっとこう無機質な街になってきてるなっていう印象はありますねそうだねそういうことかね
15:01買って物さえ建てば福岡とかそうじゃないですよねやっぱり人ですもんねそうなんだね本当だね
15:07里乃さんは米谷さんと21年ぶりの再会を果たしたわけなんですけども朝市が開かれてたほんとね
15:11本町はすっかりさらちになって店を出すこともできませんね
15:13日本の人はほとんど人とすれ違うんですね工事してる方ぐらいですもんね
15:15人がいないんだににぎわいが返ってこないっていうことでちょっとこう無機質な街になってきてるなっていう印象はありますねそういうことかね
15:25買って物さえ建てば福岡とかそうじゃないですよねやっぱり人ですもんね
15:28里乃さんはね米谷さんと21年ぶりの再会を果たしたわけなんですけども
15:35朝市が開かれてたほんとねあの本町はすっかりさらちになって店を出すこともねできません
15:41それに加えてですねさらに大きな問題があるんですお知らせの後お送りします
15:47里乃さんが21年ぶりに再会した米谷さんは祖母の代からずっと朝市で魚を売ってきたんですけども震災後は地元輪島の魚が手に入らなくなってしまいましたご覧ください
16:11米谷さんが朝市の魚を仕入れていた輪島港
16:18地震で海底が隆起したため水揚げができません震災後漁業関係者も辞めていってしまったといいます
16:32輪島港が利用できないため米谷さんは知り合いの仲卸から魚を仕入れています
16:39その仲卸も毎朝隣町の漁港へ行き魚を買い付けているのです
16:53車で1時間かけて隣町の牛津港へ向かいます
17:00砂糖が水に水收入され、水も水が満ちます
17:05砂糖が満ちます
17:07砂糖が満ちます
17:09砂糖が満ちます
17:11すごい これはタラです
17:15タラこんなに大きいんですね
17:19大きい
17:21グリじゃないでしょう
17:24グリの子どもプラギ
17:27〈ここの漁業権を持ち毎朝競りに参加している武さんですが地元輪島港の早い復興を願っています〉
17:44少しずつ港内の水揚げ場、荷揚げ場なりは復旧させてはきているんですけれどまだなかなか漁師さんが水揚げする仕組み、体制が整っていない状態で地元に魚が入ってこないとなっているんですよ
18:05毎朝こっちまで来るの1時間かかって大変じゃないですか でも慣れました
18:11これやらないと生活していけないんで
18:21競りが始まりました 漁業権を持たない米谷さんは競りに参加できずに見学 武さんの目利きに任せます
18:32普段は牛津港まで来ないという米谷さんですが、この日は武さんの手伝いに回ります
18:48リノさんも手伝って競り落とした魚をトラックに運びます
18:56武さんは輪島に漁業関係者がいなくなるのではといいます
19:02武さんは輪島に漁業関係者がいなくなるのではといいます
19:18他の船が損入できるようになるまでってこの先何年もかかると思うんです
19:24その間に損入できない漁師さんたちがどういうふうに輪島で生活していくのかというのはちょっと心配ですね
19:31建設関係、土木関係のほうに仮に就職された方もいますし
19:37漁師してても家計持ちでやってる方もいます
19:42あとは漁業組合の若い方たちもほとんどもう輪島に残ってなくて
19:48他の金沢とか交互の漁協にまた就職、再就職したという状態になってます
19:55この先にどうなっていくのかっていうのは
19:59組合さんなり漁師さんなり国が考えていかな
20:05そうせんと僕らというのは
20:08米谷さんも生涯できなくなってくるし
20:14まだ全然目処がそこで?
20:18そうですね、まだ1年なんで
20:21これからまだ少しずつ少しずつよくなっていくと思うのでそれ信じてうちらもこうやって頑張っていかないかなと思って
20:32うわ、危ないよこれ
20:35ね
20:40帰り道、来るときは暗くて気がつかなかった被災の跡が
20:47去年9月の奥の戸豪雨の被害が山間部に点在していました
21:02すごいもうお家も潰れちゃって
21:06やっぱこういう奥山の方になるともう言い方悪いですけど後回しにされちゃってずっとこのまんまなんですかね
21:17なんか実際にね、ニュースとかでは見たりするけど
21:20なんかほんとこんな、あれはニュースのほんとごく一部なのかなって思ってたけどやっぱり来てみたらほんとにもう
21:32車1時間走らせたとこすべても全部いっぱいあって
21:38なんだろう
21:40震災の強さなんだろう、地震の強さというか痛感したというか
21:49じゃあ和島に戻ってすぐに魚をさばき、配達用の袋に詰めます
21:59はい、これはナイロン、ここにあるわ、ナイロン小さい
22:051日何軒くらいなんですか?
22:07ねえ、分からん、分からんけど多い時で7軒、8軒
22:14それでも多い方なんですか?
22:16そう、だから全然違うよ、半分、半分いか?
22:19朝一に置いとくと比べて、朝一やったらほら、こんな箱にいくずーぶん並べて売っとるやろ?
22:24うん、でも本当にもう2箱ほどやもん
22:27少ない
22:28少ないですね
22:29少ないよ
22:30朝一とは商売の方法も変えました
22:33電話かけてくれって言うもんで
22:35今まではお客さん来てたのを
22:37そう、今じゃもう電話
22:39なんかおいしいもんあったら電話してって言うね
22:44うーん
22:45はい、おばちゃんおはよう
22:47あのね、小さいけどふくらぎほどのお出かさんの平正今日はで
22:51うしつ一緒に行ってきてんちゃう
22:53それ食べればどうかなと思って電話してん
22:56ああ、わかる
22:58お得意さんの注文を取って配達するのですが、ほとんどの人が仮設住宅住まいです
23:06こんにちはー
23:10こんにちはー
23:12噂の東京マガジンって言うて、そんな番組で
23:15昔、何十年も前に今度女の子が、うちのほら、ばあちゃんおだろ?
23:22うん
23:23母ちゃんのとこ来て、手伝って朝一を
23:26それが二十何年って扱げて、もはや、立派にお母さんになって、子供もおるげて
23:34お世話になりました
23:36はぁ、ドラマやなぁ、うれしい、うれしいなぁ、なるほどね
23:44輪島塗りの先生をされてたんですか、薪、薪、輪島塗りの器に薪を描くの、絵を描くの、絵
23:52やっぱり今、こう、震災があってからも、そのお仕事ってできてるんですか、いや、あの、仮設の仕事場があたって、そう、仮設の仕事場
24:02仮設の、その、あの、輪島塗りしとる人たちの仮設の仕事場があたって、職人さん
24:06ああ、そういうのがあるんですね
24:08ああ、そういうのがあるんですね
24:18おはようさん、おはようじゃないか
24:20こんにちは、すいません
24:22こんにちは、ESTSの噂の東京マガジンって
24:26噂の東京マガジンってわかる?
24:28前回何人も何人も、あの、何だっけ
24:32あの人で撮るやつ、森本さんと
24:36私も入った?
24:38前入っとって、今はBS
24:40BSで入ってる?
24:42その番組でちょっと
24:44そうですか、森本さん大好きやったって
24:48この人は洋服屋さんしてたんで
24:50朝市の近くで、お店してたんだけど
24:54もう、はい
24:56地震で?
24:58はい、潰れてしまって
25:00うん
25:02で、もう、はい
25:04廃墟しました
25:06いつ復興するやら
25:08分からんもんね
25:10でも、1年経ってしまって、今2年目やよ
25:12早いね
25:14何が何てか分からん
25:16こっち裏なんですか?
25:18立派なのに裏
25:20こんにちは
25:22うわさの
25:26ほら、東京ウワサのマガジン知らん?
25:28うわさのマガジン知らん?
25:29うわさのマガジン知らん?
25:30うわさのマガジン知らん?
25:31うわさのマガジン知らん?
25:32うわさのマガジン知らん?
25:33そう、それ
25:34あ、ほんなんですか?
25:35うん
25:36レイコさんの魚しかもう、食べない地かね
25:37この人、輪島塗りしてて、出張に行くんですよ
25:39輪島塗りを売りに
25:41結構長いこと今行くんで
25:43何塗りですか?輪島塗り
25:45どういう所に出張とか
25:47今でもここで作って、持って帰る?
25:49そうですね、輪島で今、仮設の工房あるんで、そこで作って
25:52あ、先ほどですね、皆さんそこで作って
25:54そうそうそう、で作って、それを持って、例えば今仙台、45日間行っとったり
25:59車積んで、もう行商ですよ
26:01うん、そう
26:03うん
26:04配達を終えて、21年前にリヤカーを引いた思い出の橋
26:10しかし
26:11この先行けないって
26:13えっ、そう、通れないんだよね
26:15すいません
26:16ええ
26:17ええ
26:19本来は本職甘さんなんですけど、今ほら、隆起とかして
26:23行ってました、何か月に何回かしたら
26:25だから、まあ、とりあえずここも来月ぐらいで終わりですので
26:29もう、それまでちょっとお話来たんで雇ってもらおうかな
26:33なんか、お仕事がもう、あんまりなくなっちゃったんで
26:36そうです、そうです、そうです
26:37で、やっぱり他にアルバイトしたりとか
26:40そうです、そうです、私らもろそれですよね
26:42ああ、そうなんですね
26:43もう、全然海がね、もう、全然サザエも取りに行って
26:47もう、流通が最初なかったんですよ
26:49もう、市場がダメで、売ったりするとこなくて
26:52サザエとか割って
26:54ほんで、まあ、とりあえずね、お仕事があったんで
26:57まあ、ビビったるもんですけど、多分ね
26:59晩御飯台ぐらいしか出ないかもしれんけど
27:03震災後の輪島を訪れて現状を知った里野さんの思いは
27:08いろんなとこも、ここまで来たら全部知りたいし
27:13すごい、聞くとすごいつらい部分はたくさんありましたけど
27:17どういうところがこれからもっと支援してほしいって
27:20生の声を聞いて、いろんな今後の支援に少しでも役立ってほしいなって思いましたね
27:26ということで、里野さんがいろんなところでいろんな方のお話伺って
27:33今、ニュースにもありましたけど、海底が隆起して漁港が使えなくなってて
27:39入ろうと思った船も入れるんだけど、ちょっと離れたところに止めて水揚げしなきゃいけないんで
27:45めんどくさいでしょ、大変でしょ、だから結局みんな必ずあのほうに行ってしまって
27:50輪島港を使わないというと、なると仲卸のたけしさんが心配するのは
27:55どんどん輪島から人がいなくなってしまうんじゃないかという
27:58仕事と一体じゃないと戻れないわけですからね
28:02厳しいなと思いますけどね
28:03あの、VTRに出てる女性の林野さんは本当にあのギャルと同じ人ですか?
28:07本当ね、もうしっかりしてて、いやもうあの本当にびっくりしますけど
28:13なんか、お話聞いてる感じものとにこう気持ちを寄せながら質問してるっていうのが
28:18すごい伝わってくるから
28:19そうね
28:20ご本人もおっしゃったけど、やっぱりお話を聞くと心がちょっとね
28:23厳しくきつくなる部分もあるんだけど、それともいろんなことを全部知りたい
28:28そうね
28:29っていう思いを持っていろんな方とお話をしてるんでね
28:33そう思いましたけども
28:35朝市がなくなりまして、店を開けない、開けることのできない米谷さんなんですけども
28:41魚を配達して、なりわいを続けているということなんですけども
28:45朝市に出店していた、他の人たちはどうしてるんでしょうか?
28:49それはCMなどお送りします
28:51能登のシンボルでもありました輪島の朝市、本町に出店できない今、朝市の伝統たやす米と、ショッピングモールを間借りして、市を開いているんです。
29:15米谷さんに朝市が移転して開かれていると聞いて、行ってみることに
29:23そこは輪島市内にある商業施設
29:28店の好意で一角を無償で借り、去年7月に朝市が再開しました。
29:46しかし出店は40店舗ほどで、震災前の半分以下です。
29:53これはお若いんですけど、そこ以内に戻されているんですか?
30:00一人店はもともと朝市で店をやっていて、創業69年なんですけど、祖父の大会。
30:06で、あの風で燃えちゃって、今、再建しつつ。
30:11自分は元旦の時に外に居て、建物の下に潰されて、1時間半生き埋めになっていて。
30:18え?自分?
30:19そうそうそう。
30:201時間半生き埋めになっていて、腰の骨を4本持ったんですけど。
30:25その中に顔だけ取り出してもらったんですけど、足が抜けなくて。
30:31で、目の前の海でしょ。
30:34で、今ここで火災警報になっているでしょ。九州に一緒にいたので。
30:38怖かったですよね、きっとその状態で。
30:41そうですね。
30:42まあ、それの時に比べればここまで回復してて、店物とりあえずは出店させてもらってるんで、まあまあ前進はしてるかなと思うんですけど。
30:51私、お嫁に来て38年で、38年から頑張って、朝一、毎日出てます。
30:59で、今、お家の方は大丈夫だったんですか?
31:01えっと、家は中規模半壊で、ちょっと住めない状態になって、今、仮設に住んでます。
31:09うん。
31:10なんか、潰そうか、直そうか、考えて、考えて、考えて、で、結局、こう、非解体する。
31:21なんかね、決断する。
31:23うん。
31:24決断が、ちょっと実感なんか、せっかく住み慣れた、お嫁に来て住み慣れて、ご先祖様が作ってくださったね、家を簡単に潰すわけにもいけないし、みんなで、家族でいろいろ考えて、で、やっと決断して。
31:39で、そしたら、解体も順次遅くなって。
31:42こんにちは。
31:43こんにちは。
31:44朝一組合長にも、話を聞きました。
31:48とにかく私も、なんとかここで、あの、火を消さないように待ってる。
31:52そういうことを続けながら、まあ、なんとか向こうの方に、また復興という形で行きたいという、そういう思いですね。
31:58うん。
31:59で、まあ、もし、建物とかなかったとしてもね、その場所だけがあれば、こういうテント張ればね、少しでも早く、その建物よりかは早く復興できるといいですよね。
32:11あの、その、今言う道路の上でやってたあの形態で行くと、やっぱり道路使用許可と占有許可っていうのを毎年もらうんです。
32:17毎年なんですね。
32:18毎年ですか。
32:19県の土木、市の土木と警察の方から。
32:22で、その規約の一部に、その商店街のその後ろにいる、自分のあの、あの、露店の後ろの方の許可が必要だっていう含みがあるわけなんですよ。
32:31だから、どうしてもですね、あの道路がきれいに残ってるんで、そこだけでバッと建てるっていう思いもなきにしもなんですけど、基本それがないっていうことで、やっぱりその許可が出せない。
32:42だから、指導ということなので。
32:44中卸の武さんに復興状況について聞くと。
32:49今はどういうところが復興、まだまだだなっていうのはありますか。
32:54そうですね。地元でこう、なりわいを続けていく、まあ、こういう事業者僕みたいな。
32:58あとはまあ、飲食店さんでもこれからプレハブの、まあ、あの仮設のお店、店舗を作って営業していくっていう方の、もうちょっとサポーター等と推しが、本当、これから必要になってくると思ってるんですよ。
33:12地元で経済回していかないと、あのー、どうしてもそこで生活する人たちが、あのー、生活しにくい状況になっていくんで。
33:21観光も、まあ、この先何年かかるかわからないですけれど、まあ、外から人を呼び込むような、そういう仕組みを、やっぱりみんなで考えて作っていかなければならないなと思ってます。
33:31いまだに言えば言われるのは、あのー、あのー、もう野党行ってもいいのかなってよく言われることがあって、いや、全然来てくださいって僕らは思うんですけど、
33:43そういうところがやっぱ、施設がしっかりできていないことには、なかなか足が向かないんじゃないかなって思ってます。
33:50輪島市には49カ所におよそ3100個の仮設住宅があります。
34:03家賃は無償ですが、光熱費は支払わなければなりません。
34:11仮設住宅の様子を見せていただきました。
34:18これはこんな部屋です。はい、座ってください。
34:21ありがとうございます。すみません。
34:23突然に申し訳ないです。
34:28これは2人部屋。
34:30大体、仮設住宅って2年中、なんか、日本のなんか、決まって、そんな政令で決まっとったわけに、これは一応2年って言うとねんけど、
34:40そんな2年間で言うなら、その人が行く場所があれば、あげてもいいけど、行く場所がなければ、
34:48今のここで生活してるのにともなんでしょ。
34:52あんた2年間だけね、明日から出てきなさいって言ったってあんた、
34:57エフトがなければ、野宿しちゃうわけにいかんし、
35:02そんなときは避難所もないしやんと。
35:05これでもあって住む建てられればいいけど、
35:08市役所に、2年で退居という決まりや、その先に住むところのない人はどうすればいいのか、聞きに行きました。
35:25その仮設住宅で2年間って決まってるじゃないですか。
35:31その2年間っていうのは、やっぱり県が決めてるもんですけど、国が決めてる。
35:36これね、国の支援のルールになっておりまして、
35:42仮設住宅の期限っていうのは、原則2年。
35:46仮設をその2年間住んだ後、お家を建てるか、支援に行くかっておっしゃってますけど、
35:53もうどちらもできない方とか、そういう方はどうするんですか。
35:58全部大問題ですよね。
36:00やっぱり経済的な問題とか、高齢で一人暮らしで判断が難しいっていう方も当然おいでると思うので、
36:10そういう人たちには、私たち伴奏支援っていう言葉をよく使うんですけど、
36:15いろんな見守りしてる支援の方々が行って、その都度その都度お話を聞いて、
36:24それでもやっぱり再建が難しいっていうことになったら、
36:28場合によっては福祉施設とか、これですと老人ホーム的なところ、
36:36そういうところで、やはり見ていくっていう必要も、
36:42ケースによってはあるのかなと思います。
36:45市は、被災者に寄り添った生活支援と、住まいの再建に力を注ぐといいます。
36:5321年ぶりに再開した米谷さんとお別れ。
36:58大変なことがある中で、こんなに笑顔でお魚に変わらず売れて、すごいなって。
37:06初めはね、地震あった時はもうショックで、
37:10ずっとなんか本当に暗い気持ちやったんやけど、
37:13こんなことしとってもダメやわと思って、
37:16前向きに頑張らなダメやなと思って。
37:20ほら、いつも買ってくれるお客さんの顔を見ながら喋ったり、
37:25で、なんか癒されてるね。
37:29ありがとうございます。
37:30本当にありがとうございます。
37:32気を付けて、気を付けて。
37:34旦那さんにもよろしく。
37:36ありがとうございます。
37:38実際に来て、見て、いろんなところとか、
37:47半壊したお家とかね、崩れてしまったお家とか、
37:51土砂災害を見ると、思ってた以上に災害もすごかったんだなっていうのを感じました。
37:58まだまだ潰れているところも多かったんですけど、
38:03まだ復興も進んでない。
38:05なんでそんな遅いんだみたいな報道とか結構ありますけど、
38:09量が多すぎて、そういう潰れているところ、
38:12私も本当に思った以上に、
38:14全部、本当に全部潰れてますし、
38:17ごく一部だったのかなと思ったんですけど、
38:19全然本当そんなことなくて、
38:21山一つ分、二つ分くらい崩れている範囲が多くて、
38:26確かにそんな大きな範囲は、
38:28そんな1年、2年じゃ直しきれないよねっていうのを感じました。
38:34例えば、仮説も2年で出ないといけないとか、
38:37なんかそういう、よくわからないルールというか。
38:41何を基準で2年なの?みたいな。
38:45復興するのに、朝一を始めるのに、
38:475年、10年と言ってたじゃないですか。
38:50普通の住まれている個人の方だって、
38:525年、10年かかりますよって思いますよ、私は。
38:55今回はね、こう意識させ合いだから、
38:57一気応変にできないのかなってことも感じました。
39:00国が国のルールだとか、
39:02なんかそういうところは、
39:04今は、そんな言ってる場合じゃないの?
39:07って私は思いますけどね。
39:09米谷さんに会いたいっていうことで、
39:11お会いしてどうでしたか?
39:13でも、すごい思ってた以上に、
39:15なんかすごい、頑張るぞっていうパワーが、
39:18すごい、これからもっと5年後でも、
39:20またやる、朝一もやるよみたいな、
39:24すごい意気込みというか、
39:26悲しんでるっていうよりもっと笑顔で頑張んなきゃっていうのかな、
39:31そういう感じで、すごい頑張ってるのを感じました。
39:35うーん、なんかいろいろなんか、
39:37法律の壁的なものが出てきましたよね。
39:39そうね。
39:40彼女も怒ってたけど、
39:42怒ってました。
39:43仮設2年ってどういう基準なんだってね。
39:45はい。
39:46やっぱり誰でも思うよね。
39:48普通2年じゃ、やっぱり、
39:50普通に考えても無理ですよね。
39:52それはもうすぐにね、
39:53何か解決策が取れるっていうような人は、
39:56もういないでしょうな、そうなかなか。
39:58仮設に住んでた男性の方もおっしゃっても、これがあればね、すぐ建てられるけど、70過ぎたらローンだって、組めないでしょ、そうなんだよね。
40:07ええ。
40:08市の方はね、個々の事情を考えまして、仮設住宅の共有期間の延長等の判断を行うということと、まあ、相談されれば多少伸びるってことがあるかも、まあ、知れない個々に応じてということなんですけどもね。
40:21でも不安ですよね。
40:22そうだね。
40:23あと1年進めないんじゃないかと思うとね。
40:25朝市も簡単に開けないっていうのは、あればちょっとよく分からなかったけど、どうして?
40:30あの道路、あれ、更地になってて道路があるんだから、できそうな感じするじゃないですか。
40:34テントでやれると思うけど。
40:36すぐできそうじゃないですか。
40:37そうじゃなくて、あれはなんか、あの前に出す店というのは、道路の使用許可ももちろんですけど、後ろの建物から使用許可をもらって、だからできないんですよ。
40:51建物の許可をもらって店を出すのに、その建物がないから、許可を出す人がいないわけじゃないですか。
40:57だからできないってこと。
40:58それもまた部分。
41:00ねえ。
41:01ねえ。
41:02百姿定義な解釈だね。
41:04そうなんです。
41:05あれだけだけど、木入君、広大な土地が全部さらちになっちゃってるっていうのはね。
41:11ちょっと前私が取材したときは、やっぱり一気にさらちにしてしまったので、どこまでが誰の土地なのか。
41:19分泌が分かんなくなってる。
41:21まだ分かんない。
41:22なので、それを一つ一つ確認したうえで、じゃあここまではあなたの土地ですねっていうところから、また建物を建てるっていうことで。
41:29この区画整理にも時間かかってる。
41:31もどかしいところだね。
41:32そうですね。
41:33国の手がどこまで届いてるのかっていうのが、今回の映像でも見えなかったな。
41:42いやあ、だからね、仲卸のたけしさんね、地元の経済を回すためにも観光に来てほしいとおっしゃってたんですけどもね、でもそれこそ施設がね、それを受け入れる施設もまだまだ足りないということでしょうし、しかしね、りのさんはね、友達や家族を連れてきて、輪島でお金を落とす、それが私の支援だと言ってたということなんですけどね。
42:03まあでも、なんか今回の映像を見てもやもやするのは何なんでしょうね。
42:10まあ僕は逆に言うと、りのさんがこっち歩き回ってくれたおかげで、これだけの規模の災害がまだそのまま復興せずに残ってるんだっていうのがね、目の当たりにできたっていうのはすごく大きなね、これ収穫だったんじゃないかな。
42:27見てる方たちもそう思ったと思うんですよね。
42:29ちょっともう申し訳ないけど、ちょっと頭の隅からだんだん薄れていってる部分っていうのはあったと思うんですよ、私たちもね。
42:36それやっぱり新たに見て、あ、そうだったんだって分かっていただければ本当に嬉しいんですけどもね。
42:42震災から1年経っても大変な状況なんですけども、まあでも米谷さんの元気で前向きな姿に少しほっとしたことができました。
42:49はい、以上、やって到来社会体験その後でした。
42:54会見その後でした。
42:55会見その後でした。
43:01会見そう!
43:02会見!
43:03会見!
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