100分de名著 北條民雄“いのちの初夜”せめぎ合う「生」と「死」-絶望の底にある希望 1-4

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100分de名著 「北條民雄“いのちの初夜”」

人間にとって「いのちとは何か」「病とは何か」「絶望の中で希望を見出せるのか」といったテーマを真摯に追求した一冊の名著があります。北條民雄「いのちの初夜」(1936)。作者自らハンセン病を患い、世間から隔絶された療養所生活の中で、自らの絶望と向き合いながら、それでも生きていく希望を見出そうという祈りにも似た思いで書かれた小説です。

第1回 せめぎ合う「生」と「死」
ハンセン病に罹患し、療養施設へと向かう主人公・尾田高雄。尾田はそれ以前から何度も自殺を考えながらも思いとどまることを繰り返していた。入所した瞬間、尾田は絶望的な状況に直面する。看護師たちから向けられる差別的な視線、金銭や衣服を取り上げられるという社会からの隔絶。そして自らの未来を見せつけられるような重症患者たちの苛烈な症状。そんな中で、彼は、自らもハンセン病患者であるにもかかわらず、他の患者たちを蔑んでいる自分に気づき愕然とする。第一回は、作者・北條民雄の目を通して、当時のハンセン病者たちが置かれていた過酷な状況を浮かび上がらせるとともに、差別の視線に引き裂かれる主人公の葛藤の意味を深く読み解く。

第2回 「いのち」を観察する眼
絶望の只中にあった尾田は、佐柄木という一人のハンセン病患者に出会う。彼は無私ともいえる態度で、甲斐甲斐しく重症患者たちの介護を続ける。だが尾田はそんな佐柄木に嫌悪を感じる。夜になり庭で自殺を試みて失敗するが、その一部始終を佐柄木にみられてしまう。佐柄木は、そんな尾田に「新しい出発をしましょう。それには、先ず癩に成り切ることが必要だ」という意味深長な言葉を投げかけるのだった。第二回は、佐柄木という人物が投げかける問いによって「いのちそのもの」に向き合い始める主人公・尾田の心境の変化を通して、あらゆるものを奪い去られても、ただ一つ残るかけがえのないいのちの意味を考える。

第3回 再生への旅立ち
一端は寝つくが悪夢にうなされて目覚める尾田。そこには、過酷な症状の患者たち、そして絶え間ない泣き声や苦しみの叫びがうず巻いている。だが佐柄木は何かを書き続けていた。それは一篇の小説。佐柄木はいままでになかった人間像を描くといい「新しい思想、新しい眼を持つ時、(中略)再び人間として生き復るのです。復活、そう復活です」と尾田に語りかける。やがて散歩に出かける二人。朝の光の中でこの一夜のことを振り返り「生きてみることだ」と尾田はつぶやくのだった。第三回は、佐柄木という人物との語らいから再び生きようとする意志を取り戻す尾田の姿を通して、絶望的な状況の中で人はどのようにして再生していくことができるかを学んでいく

第4回 絶望の底にある希望
「いのちの初夜」は文豪・川端康成によって見いだされ雑誌「文學界」に掲載、文學界賞を受賞し芥川賞候補ともなった。一躍時の人となった北條だが、世間からは「ハンセン病作家」「ハンセン病文学」というセンセーショナルな受け取られ方しかされない。その上、北條は二つの危機に見舞われる。症状の進行により将来書き続けられなくなるのではないかという危機と、同じ患者たちの反応が芳しくなく反発を受けていたという危機だ。施設での厳しい検閲も相まって北條の足場は揺らぎ続ける。だが、それら危機の自覚に導かれ、患者の「断種問題」に踏み込んだ傑作が結実する。第四回は、さまざまな危機に直面しながらも、そのせめぎ合いの中で生きる意味を求め続けた北條の姿を通して、降りかかる困難の意味を深めゆく人生のあり方を学ぶ。

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