米原の遺族に太平洋戦争の遺品 2016年12月22日

  • 7 年前
米原の遺族に太平洋戦争の遺品
太平洋戦争中、激戦地のニューギニア島に派遣された陸軍の部隊名が記された銅板が現地で見つかり、22日、その銅板が、当時の部隊長だった男性の米原市に住む親族に手渡されました。
ニューギニア島で見つかったのは、縦およそ10センチ、横およそ25センチの「高森部隊」と記された薄い銅板で、軍の支給品の自転車につけられていたものとみられるということです。
これはおととし7月、遺品収集を進めている広島県の大田祐介さんが慰霊祭のために現地を訪れた際、野戦病院跡で発見したものです。
その後、記された部隊の関係者を探したところ、滋賀県米原市出身の部隊長だった高森八郎さんの親族が、いまも米原市にいることがわかり、22日、遺族会を通じて、
八郎さんの兄の孫にあたる高森慶司さんに銅板が手渡されました。
慶司さんによりますと、八郎さんは小学校の教諭を務めたあと、陸軍に入隊し、中国やグアムなどに派遣され、その後、昭和18年にニューギニア島で迫撃砲に
よる攻撃を受け、31歳で戦死していて、これまで遺骨や遺品はなかったということです。
慶司さんは、「大叔父は戦争が終わったら、いいなずけと結婚すると話していたと聞いている。無念で残念だった。73年ぶりに戻ってくれて大変うれしい」と話していました。
2016年12月22日 17時54分

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