5月15日、沖縄が日本に返還されたその日を沖縄の人々はどんな思いで迎えたのか。そして40年後の今その日をどう思い返すのだろうか。復帰をめぐる対立は集落や家族の中まで入り込み、通貨や法律、社会制度の急激な変化に人々は翻弄された。沖縄返還の前日・当日・翌日の72時間、人々の物語と人々のその後を描くことで、沖縄の“日本復帰”の意味を重層的・多面的に浮かび上がらせる。2012年5月15日
40年前の1972年5月15日、沖縄の施政権が日本に返還された。その際、「復帰」を受けとめた沖縄人たちの振り返りをまとめた番組である。ある者は呑みながら過ごし、琉球電電公社は電話のつなぎ直しに追われ、那覇港の船は一斉に汽笛を鳴らし、車は一斉にクラクションを鳴らし(警察は道路交通法に違反するためできなかったという)、ある者はまだ間に合うと赤線に駆け込んだりして、そしてランパート高等弁務官は嘉手納を後にした。
しかし、嘉手納基地などから米兵が繰り出してくる街・コザ(現、沖縄市)では、なんら雰囲気は変わらなかった。ある「Aサインバー」は、ベトナム戦争に派遣される米兵たちが、その前にあるだけのオカネを使っていく場と化しており、1日2000ドルもの売り上げがあった(家が建つほどの金額)。経営者たちは、基地はあってほしいと呟く。「復帰」に伴い公共施設が建設され、軍用地代が入ってきて生活が成り立つようになった伊江島では、「ここに限っては基地があったほうがよい」と明言する方もいる。また、ロックバンド・紫のドラマー宮永英一さんは、アメリカになった方がよかったと言う。
40年前の1972年5月15日、沖縄の施政権が日本に返還された。その際、「復帰」を受けとめた沖縄人たちの振り返りをまとめた番組である。ある者は呑みながら過ごし、琉球電電公社は電話のつなぎ直しに追われ、那覇港の船は一斉に汽笛を鳴らし、車は一斉にクラクションを鳴らし(警察は道路交通法に違反するためできなかったという)、ある者はまだ間に合うと赤線に駆け込んだりして、そしてランパート高等弁務官は嘉手納を後にした。
しかし、嘉手納基地などから米兵が繰り出してくる街・コザ(現、沖縄市)では、なんら雰囲気は変わらなかった。ある「Aサインバー」は、ベトナム戦争に派遣される米兵たちが、その前にあるだけのオカネを使っていく場と化しており、1日2000ドルもの売り上げがあった(家が建つほどの金額)。経営者たちは、基地はあってほしいと呟く。「復帰」に伴い公共施設が建設され、軍用地代が入ってきて生活が成り立つようになった伊江島では、「ここに限っては基地があったほうがよい」と明言する方もいる。また、ロックバンド・紫のドラマー宮永英一さんは、アメリカになった方がよかったと言う。
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