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NHKスペシャル、ラストメッセージ 第2集 「核なき世界を 湯川秀樹」(2006年11月6日放送)
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/7J819VNZ73/

カテゴリ

📚
教育
トランスクリプション
00:00新年を貫き命を燃やして生き抜いた人たち
00:25一人一人時代と格闘者が戦後の日本を走り続けました
00:32フィルムに残るその姿その声は今私たちに大切なものは何かを問いかけます
00:46日本人へのラストメッセージ
00:49明日への言葉がよみがえります
00:52日本人で初めてノーベル賞を受賞した物理学者 湯川秀樹
01:02敗戦間もない日本人に勇気と希望を与えた戦後の復興のシンボルでした
01:13しかし核兵器が地球を覆っていきます
01:17湯川は核廃絶を訴え続けますが現実の壁が大きく立ちはだかりました
01:26核を廃絶し運命をなくしこれはすごく分かりやすい話なんでありますけれど
01:35なかなか分かってくださらないのはむしろ不思議なことであると思っているわけです
01:40核亡き世界を追い求めた湯川秀樹の生涯を見つめます
01:47核亡き世界を追い求めた湯川秀樹
01:55核亡き世界を追い求めた湯川秀樹
02:01核亡き世界を追い求めた湯川秀樹
02:0710月初め物理学者湯川秀樹と友永信一郎の生誕100年を記念する展示会が京都大学で始まりました
02:20シリーズでお伝えしているラストメッセージ
02:282回目の今夜は湯川秀樹です
02:31ちょっとこちらをご覧いただきましょう
02:34大変難しい計算式数式が書き込まれています
02:40これをもとに書かれたのが初期の論文です
02:44中間詩の存在を予言した論文です
02:48その中間詩論によって湯川秀樹は1949年昭和24年
02:57日本人として初めてノーベル賞を受賞しました
03:00その受賞の年に生まれた私は学校に入ってからその名を知ることになるわけですけれども
03:05原子物理学という大変難しい学問の世界で
03:09アメリカやヨーロッパの学者に引けを取らない実績を残した日本人がいたんだということで
03:14大きな感動をしました
03:15そうした輝かしいノーベル賞受賞者としての湯川秀樹には
03:22もう一つの違った顔がありました
03:25科学者として地球上から核兵器をなくすという運動の先頭に立ち続けたことです
03:33研究者である湯川がどうして核廃絶を訴えるようになったのでしょうか
03:39核の拡散が深刻化する今
03:43信念を貫き通した湯川秀樹の心の軌跡に迫ります
03:48敗戦から復興に歩み始めた日本
03:561949年
03:58一つの明るいニュースが人々を勇気づけました
04:0211月3日スウェーデン科学学士院は
04:081949年度のノーベル物理賞を
04:12日本の湯川秀樹教授に授けました
04:15日本人には初めてです
04:17この時湯川は42歳でした
04:22原子の中核をなす原子核
04:46その構造を中間子論によって解明したことが
04:50ノーベル賞受賞の理由でした
04:52湯川は受賞後も研究を続けていくことで
04:59社会に貢献したいと考えていました
05:01京都市佐京区にある湯川家
05:09この4月
05:15私たちは湯川と50年近く連れ添った
05:19妻のスミさんを訪ねました
05:21スミさんはこの時95歳
05:31亡くなるひと月前でした
05:33ゆき子さん
05:35桜がだいぶ散りましたな
05:42終わりになりましたね
05:44秀樹さんの顔が輝きますね
05:51世界平和のことを口にしだすと
05:56秀樹さんの顔がいつもより輝きます
06:00研究一筋に生きていた湯川が
06:08なぜ核廃絶の運動に身を投じるようになったのか
06:12スミさんは一人の偉大な物理学者との出会いがあったからだといいます
06:19アメリカ留学中に知り合ったアルバート・アインシュタイン
06:32第二次世界大戦中
06:34原爆の開発を後押ししたことを深く後悔していました
06:38部屋へ来るなり
06:43私たち二人の手を固く握られて
06:47涙をポロポロと流して
06:49日本人自分が研究したことが原爆になって
06:59罪もない日本人を殺すことになって申し訳ないと言って仲張った
07:04アインシュタインと湯川は
07:10莫大なエネルギーを生み出す核の恐ろしさについて
07:13連日語り合いました
07:15米ソの核開発がエスカレートすることを恐れていた
07:26アインシュタインは言いました
07:28核兵器廃絶のために
07:32科学者は国境を越えて
07:34共に行動しなければならない
07:37しかしこの頃湯川は
07:45物理学の研究に没頭する毎日でした
07:48静かどころと名付けた自宅の庭です
07:59真理の探求のため
08:03湯川は一人静かに試作する時間を大切にしていました
08:07自らの性格について
08:11ラジオ番組で率直に話しています
08:14内向性と外向性と
08:18人間をつまり自分の内の方に向かう人間
08:22それから外の方に主に向かっている人間
08:24というふうに分けますと
08:25私はもう明らかにですね
08:27非常に極端に内向性を持った人間だと思うんです
08:31どうも世の中がこう
08:35うとましいというような
08:37なるべく世の中に交渉を持たずに
08:40その一生を送りたいと
08:42なんかやっぱり一種のそういう
08:47片つぶりみたいなもんでですね
08:52湯川はノーベル賞受賞を記念して建てられた
09:01京都大学基礎物理学研究所の所長となっていました
09:05ここで研究と講義に忙しい日々を送っていた
09:141954年のある日
09:17衝撃的なニュースが飛び込んできました
09:213月1日
09:30太平洋のビキニ干渉で
09:33アメリカが水爆実験を実施
09:35広島に投下された原爆の
09:411000倍の破壊力を持つものでした
09:43日本のマグロ漁船
09:50第5福龍丸の乗組員が被爆し
09:53一人が半年後に命を奪われました
09:56水爆の開発には
10:06アインシュタインが危惧したように
10:08多くの科学者が関わっていました
10:11広島
10:18長崎の原爆に続いて水爆が誕生
10:22研究一筋に生きてきた湯川を
10:27大きく揺さぶりました
10:28真理を探求するということはですね
10:35これは結局は人類のためのものであると
10:39そういうふうに単純素朴にずっと考えてきて
10:44もっとそういう間違いないと思って
10:45だらりと変わっちゃったんですよね
10:48私の人生観も非常に変わりましたね
10:52別のことで言えば
10:55私たちのような世間離れをしている
11:01世間離れの下が悪魔をしている
11:05ものでもやっぱり
11:08その社会に対して責任があると
11:10そういう責任から
11:12生まれることはできないんだと
11:14湯川と同時代を生きてきた
11:21物理学者の伏見浩二さん
11:2397歳です
11:25核廃絶の運動に乗り出した湯川には
11:31物理学者だからこその
11:34深い洞察があったと
11:36伏見さんは考えています
11:37原子兵器がどんどん発達したらどういうことになるかといったような見通しですね
11:46そういうようなことは
11:48特に何も勉強しなくたって
11:51湯川さんの頭の中に描き出されるはずですよね
11:53これはとにかく大変なことになったという
11:57その認識は
11:59素人の方々よりはやはり
12:02原子核のことを知っている人間だけに
12:06原子兵器の恐ろしさといったようなものを
12:12人に先んじて認識されておられて
12:17それに対して何かしなければならないという
12:20モチベーションは非常に強かったと思いますね
12:22ビキニ事件の翌年
12:271955年
12:29湯川の下に
12:31イギリスから一通の手紙が届きます
12:33哲学者バートランドラッセルが
12:37アインシュタインとともに
12:40平和宣言への署名を呼びかけてきました
12:42その2週間後
12:52最も尊敬していた
12:57アインシュタインの死
12:59湯川はこの知らせの翌日
13:03宣言に署名することを
13:06ラッセルに伝えました
13:07湯川たち11人の科学者が
13:12署名した
13:13ラッセル・アインシュタイン宣言
13:15湯川は研究室を飛び出します
13:42宣言に基づき
13:47世界の第一線の科学者が結集した
13:50パグウォッシュ会議に参加
13:52米ソの科学者を含む全員で
13:56核実験停止を求める声明を発表しました
13:59ラッセル・アインシュタイン宣言の精神
14:07人類の破滅を防ぐため
14:11国家や民族を超え
14:14英知を結集しなければならない
14:16世界の科学者が一致団結したことに
14:23湯川は明日への希望を感じていました
14:25大学から帰宅する湯川の姿です
14:39湯川は和歌を好み
14:45その時々の心情を
14:47短い言葉に託してきました
14:49核廃絶の運動に乗り出した頃
14:54こんな歌を読んでいます
14:56野木地下木
14:59竹の外れのさやさやと
15:03世の平安を語るひねも
15:07いうのですが
15:10世の中はなかなか
15:16平安というわけにはいきませんけれども
15:19世の中の平和といいますかね
15:24そういうものを
15:27いつでも望んでいると
15:32そういうことに今
15:34及ばずながら
15:36努力したいと思っている気持ちは
15:41少しは分かっていただいているんじゃないかと思います
15:44原子物理学者の豊田俊之さん
15:5786歳になる豊田さんは
16:01湯川の学者としての生き方に感銘を受け
16:04最後まで行動を共にしました
16:06豊田さんは
16:10太平洋戦争中に
16:12湯川が自分のために読んでくれた和歌を大切にしています
16:16空襲に怯え
16:23死と隣り合わせにあった頃の歌
16:26人のよう
16:29身近しと言わず
16:31永劫の
16:33誠に生きて
16:35明日は死すとも
16:36いつ死ぬかもしれない
16:40自分たちは
16:43この
16:44明日どうなろうと
16:47ですね
16:48今この宇宙の真理を
16:51探求する道をやることへの喜びを持っていることが
16:56大事であると読まれた
16:58これはだからもう宝物みたいに分かるんですけどね
17:03豊田さんがいつも驚かされたのは
17:09堅い信念を貫き通す湯川の一途さでした
17:14人が何と言おうとね
17:20化学兵器はもう
17:22先輩っていうか
17:25あの頃先生好きだったんで
17:27廃絶っていう言葉も使う
17:29廃止するっていうかね
17:31それしかないんだと
17:33しかもそれは
17:35生優しいことではなくないけども
17:38なぜそのことしなきゃいけないと
17:40それがその日本がどうこうとかね
17:44西欧社会がどうこうじゃなくて
17:48本当にね
17:50人類の運命に関わる
17:541960年代
17:59米ソは軍閣競争を繰り広げ
18:02より高度な核兵器を開発していきます
18:05さらにそれを後押しする考え方が
18:11科学者から出てきました
18:13アメリカの物理学者が発表した論文
18:19核兵器といかに共存するかです
18:23執筆したのは
18:26パグウォッシュ会議のメンバーの一人
18:28レオ・シラーと
18:30核兵器がすでに存在している現実を
18:34受け入れようと訴えました
18:35核兵器による威嚇は
18:40米ソの全面核戦争を避けるのに
18:43一定の役割を果たしてきたと思われる
18:46現実を認めた上で
18:50核兵器と共存する方法を
18:53検討すべきである
18:54核兵器を持つことで
18:59逆に核戦争が防げるという
19:02核抑止論です
19:04ショックを受けた湯川は反論します
19:10核兵器は
19:13人類と共存できない
19:15科学者が
19:18世界の現状を容認しているようでは
19:21パグウォッシュ会議は
19:23その存在意義を
19:25失ってしまうだろう
19:27湯川は
19:32核抑止論を一旦認めると
19:34核兵器はさらに拡散していくと
19:37警鐘を鳴らしました
19:38一つは
19:43核保有国が
19:44より高性能な核兵器を
19:46競い合って開発していく
19:48垂直の拡散です
20:01そして
20:02自らの国力を高めることを狙って
20:04核兵器を持とうとする国が
20:07次々生まれると警告
20:10水兵の拡散です
20:15湯川は
20:16核保有国が
20:18核兵器を手放さない限り
20:20それに対抗しようとする国が
20:22必ず現れると危惧していました
20:32しかし
20:33多くの科学者は
20:35核抑止論を支持していきました
20:39ロンドンで開かれたパグウォッシュ会議
20:46核保有国の科学者たちが
20:49核兵器を持つことの正当性ばかりを議論していました
20:57主張が聞き入れられない湯川は
20:59ホテルの自室に引きこもるようになりました
21:02ここに集まった学者の多くは
21:09モラルの問題には無関心で
21:12再起やる合理的な思考にしか興味がないようである
21:17そうなると
21:20勢い
21:20核抑止論の技術的考察だけが議論になる
21:26考え込んでいたら
21:28頭痛がひどくなってきた
21:30初めは無理して出席していたが
21:34だんだん気分が悪くなる一方で
21:38最後の2日間はホテルの部屋に引きこもって寝ていた
21:42イギリス・フランスも核保有国となり
21:51その後垂直の拡散も加速します
21:54潜水艦の核武装
21:57そして戦術核と呼ばれる
22:00小型で射程が短い核兵器が
22:03大量生産されていきました
22:12軍閣が止まらない中
22:18自らの訴えが受け入れられないことに
22:21湯川はもどかしさを感じていました
22:23やっぱり人間社会に対する一つの
22:30絶望感があったと思いますね
22:32本当のね
22:34正しい道
22:35新しい道を
22:37というのはね
22:38孤独っていうことはまた
22:40その一つの運命だろうと思います
22:43物理の世界とはやっぱり
22:54人間の社会の問題は
22:57もっと複雑かい気で
22:59湯川先生の純正な思考だけでは
23:04話が通じないというか
23:09普遍妥当的なことを言っているんだから
23:12世の中にすぐ受け入れられるというふうに
23:16思っておられたんじゃないでしょうかね
23:18それがかなりしもそうでなかったものですから
23:23私の苛立ちを覚えておられたんではないかと思いますけど
23:2950歳を過ぎても
23:37湯川は物理学の探求への思いを持ち続けていました
23:41いつか
23:47物理の研究だけに打ち込める日が来てほしい
23:50そう願いながら
23:55核廃絶の運動を続けていきました
23:57湯川家には30年にわたって
24:10湯川が毎日の予定を書き留めていた手帳が残されています
24:14その中に湯川が大切にしていた
24:20一つの言葉がありました
24:22昭和40年の手帳の最初のページ
24:29一日生きることは一歩進むことであれ
24:40一日生きることは一歩進むことであれ
24:49自らに言い聞かせていた言葉です
24:52核兵器を廃絶するには
25:00どんな戦争も起こらない仕組みが必要だと考えた湯川は
25:04世界連邦運動に乗り出していました
25:07私たちの一人一人は
25:14世界連邦を作り上げることに
25:18戦争のない一つの世界を実現することに
25:23努力する責任と義務とが
25:27あるのではないかと思っています
25:31この運動は国連を強化し
25:37そこに権限を移情したすべての国が
25:40軍備を撤廃することで
25:42戦争を根絶しようというものでした
25:44湯川は国内に向けても発言を続けていました
25:57世界平和アピール7人委員会です
26:03被爆国である日本は
26:08核廃絶のために
26:10積極的に行動するべきである
26:12川端康成など7人の文化人が
26:16政府に繰り返し働きかけました
26:18湯川の精神は今に受け継がれ
26:277人委員会は政府への提言を続けています
26:31参加しているのは
26:37学者や作家、ジャーナリストなどの7人
26:40日本政府はアメリカなど核の保有国に
26:46廃絶を強く迫るべきだと訴えています
26:49核兵器を役に立つと思っちゃったら
26:54最後の最後は
26:56気弁を狼そうが核相がいいことになっちゃうわけです
26:59事務局長を務める小沼道次さん
27:03学生時代から湯川の訓導を受けてきました
27:07時に理想主義だと批判を受けながらも
27:13信念を貫き通す湯川の姿を見てきました
27:17湯川先生はね
27:21核兵器というのは絶対人類と共存できない
27:24絶対悪だということを繰り返し言われました
27:27これはね今でももう印象に残ってますね
27:30湯川先生のそれが核兵器についての原点であり
27:34それがある意味では全てなんですよ
27:37人類と共存できないものなんだから
27:39これは廃絶もしなきゃいけないし
27:40それがやっぱり実現させる方法がどっかにあるはずだし
27:44それをみんなでもって気がつけば見つけられるはずだという
27:47こういう思いですよね
27:49だから決してその理想理想と思って
27:52将来いつかいつかって夢を見てただけじゃなくて
27:55それはやっぱり理想っていうのはね
27:56現実になり得るんだっていう
27:58そういうやっぱり信念みたいなのが湯川先生にあったと思います
28:14私の後ろにありますのが広島の原爆資料館です
28:22湯川秀樹は戦後たびたびこの広島を訪れています
28:26被爆国日本の科学者としての責任を果たそうと考えていたからです
28:31この広い公園の片隅に若葉像という像が立っています
28:36こちらです
28:37裏若き乙女と小鹿という大変かわいらしい移動です
28:43この像の下に湯川秀樹が読んだ歌が刻まれています
28:49マガツビよ再びここに来るなかれ
28:53平和を祈る人のみぞここは
28:57このマガツビというのは災いの神のことです
29:01災いは再びここに来てはならない
29:04平和を祈る人だけがここに来ることができるという歌です
29:08湯川が出席したこの像の除幕式は
29:121966年5月9日に行われました
29:16しかしこの日まさに湯川自身が起因していた
29:23核の水平拡散の現実を突きつけられることになります
29:26中国がこの日
29:34初めて水爆を開発するための核実験を行ったからです
29:38中国にせよフランスにせよ
29:44さらにその競争に加わっていくということは
29:48人類を破滅の方向へ
29:54押し進めていくわけでありました
29:56日本はそういう本当の世界平和へ向かって
30:02非常に微力のようでありますけれども
30:05ひるむことなく辛抱強く
30:10日本人全体が進んでいくと
30:13その時核保有国は
30:18米ソ以外にイギリス、フランス、中国と
30:215カ国にまで増えていました
30:23広島で行った講演の中で
30:27湯川はこの歌の意味
30:29特にここにのここは
30:31単なる広島という意味ではなく
30:33全世界、地球のどこにでも
30:36災いをもたらしてはならない
30:38核兵器を使ってはならないと強調しました
30:40そして被爆国日本の科学者こそが
30:45その運動の先頭に立たなければならないと
30:47訴えたのです
30:48湯川の教えを受けた
31:01物理学者の沢田昌司さんです
31:04日本の科学者は
31:09核廃絶を訴え続ける義務があるという
31:12湯川の考えを守り継いできました
31:14あの日、14歳だった沢田さんは
31:24爆心地から1.4キロ離れた自宅で被爆
31:27母を亡くしました
31:29被爆者であり、科学者でもある自分は
31:34何をするべきなのか
31:36現在は、広島や長崎での
31:43死の肺や残留放射能による
31:46人体への影響を
31:47徹底的に分析しています
31:49科学者は、科学的なデータによって
31:54核廃絶を訴え続けなければならないと
31:57考えるからです
32:04多分、湯川先生が科学者として
32:07被爆の実際を明らかにしなきゃいけない
32:09それを世界に伝えなきゃいけない
32:12と思われたと同時に
32:14日本の被爆国
32:15どうしてそれをやらなきゃいけない
32:17と思われたんだと思いますけど
32:19僕自身も被爆体験を持ってて
32:22それから物理学をやってて
32:25そういう意味では、かなり湯川先生の
32:28おっしゃっている
32:30科学者としてと日本の
32:33科学者としてという
32:35二重の意味を持って
32:37やっぱりやらなきゃいけないなと思って
32:39今一生懸命やっているわけですね
32:41広島や長崎の記憶の風化が進む今
32:53沢田さんは物理学者としての湯川の思いを
32:59若い科学者にこそ受け継いでほしいと考えています
33:031970年代
33:16各国は競って地下核実験を行っていました
33:21これはアメリカが行った最大の地下核実験の映像です
33:27マグニチュード6.8の大地震に匹敵する
33:32巨大なエネルギーが放出されました
33:341975年
33:42湯川は再び世界に挑みます
33:45日本で初めて開くパグウォッシュのシンポジウムで
33:50議長を務めることになりました
33:52会場の入り口の日に
33:57世界は一つと刻んだ湯川
34:00アメリカなどの核保有国へ
34:05改めて核廃絶を訴えたいと考えていました
34:12ただ自分の国の国家利益のために
34:17いろんな国家が動いていたら
34:19それはこの世界に立ち行かないですよ
34:23それはちょうど普通の人間社会でも
34:27国家の中あるいは国際的な人間社会として見ても
34:31それは単に自分のエゴを主張する
34:36自分の小さな利害だけで動いているというのでは
34:41社会全体がうまく動いていかないのと
34:43同じことですよね
34:44しかし思いもよらぬ事態が湯川を襲います
34:53会議が近づいた5月
34:58東京での講演を終えた湯川は
35:01体調の不良を訴え緊急入院しました
35:04診断は全立腺癌でした
35:11手術は2度に及び大量の輸血が必要となりました
35:18看病に当たった妻炭さんの日誌が
35:25フィルムに残されています
35:27絶えず血尿が出て
35:34激痛は15分おきに襲ってきました
35:37湯川はベッドに寄り添う炭さんに
35:42追い詰められた心情を漏らしました
35:44世の中は目の前のことだけしか
35:51見えない人もあって困ると
35:54だからこんなことでは
35:56善とは必ずしも良くならないかもしれないと
36:01将来を考えたら生きていても
36:04機会がないから
36:05この際もう一層2人とも死のうじゃないかと
36:10痛みますから手を握ってますでしょ
36:13手を握りやったまま泣いたりしましたんですけどね
36:18会議を前に湯川が倒れ
36:28危機感が募った日本の物理学者たち
36:32病床の湯川とも連絡を取りながら
36:36泊り込みで議論が行われました
36:38そして国家のエゴを捨てようと訴える
36:45湯川智永宣言を準備しました
36:48会議まであと2週間
36:57せめて開会式には出席したいと
37:01湯川は医師の反対を押し切って退院しました
37:05京都大学では湯川の生誕100年に合わせ
37:18資料の再発掘が行われています
37:21膨大な資料の中から湯川が遂行を重ねた
37:28開会式での講演の原稿が出てきました
37:31開会式で湯川先生が話をされた内容で
37:38これもこう見てみると
37:40その書いては直し書いては直しって
37:44これが重要って書いてあって一番最後に
37:46これを手元に置いて開会式で話をされた
37:50これは8月の会なんだけども
37:537月に手術を受けているわけだから
37:55まだ回復していないって
37:57これも本当のことでね
37:58でももう何が何でも出たいという
38:00執念のような信念でしたね
38:048月28日
38:09会場では米層を含む15カ国
38:1632人の科学者が待ち構えていました
38:20退院して間もない湯川は
38:28歩くことができず車椅子で入場します
38:32湯川は核兵器の力によって
38:41戦争を抑止するという考え方を
38:44強く非難しました
38:45さらに湯川は問いかけました
39:07ラッセル・アインシュタイン宣言から
39:1120年も経つのに
39:13私たちは一体何をしてきたのか
39:16我々はとても自我自賛などをしておれません
39:23無力を嘆く気持ちの方が強まってきます
39:27それは核軍備競争を停止させるのに
39:33失敗してきたからであります
39:35核廃絶への道を妨げてきた
39:39最も重要な因子の一つは
39:42核抑止という考え方なのではないでしょうか
39:47会議員を立て込めた
39:54飛躍が違いますよ
39:56そんなね
39:58生やさしい空気じゃないから
40:02湯川が退席した後
40:07代わりに議長を務めた
40:09友永信一郎が
40:11湯川友永宣言への署名を呼びかけました
40:14しかし
40:19米ソを中心に
40:21自国の立場を主張する
40:23核抑止論の意見が多く
40:25賛成する科学者は増えませんでした
40:28そこで
40:32友永は
40:33湯川と事前に相談して決めていた
40:35あるフィルムを上映することにしました
40:38日本人の物理学者が
40:46原爆投下直後の
40:48広島と長崎を調査したときに
40:50撮影されたフィルムです
40:52上映されたのは
41:03編集されていない
41:055時間に及ぶ生々しい映像でした
41:08昼間の議論の後
41:142晩にわたって上映されました
41:16物理学が生み出した
41:24原爆によって
41:25深く傷つけられた人々
41:27自分たちは
41:37科学者としての責任を
41:39果たしているのか
41:40出席者は
41:44初めて見る被爆直後の
41:47惨状に言葉を失いました
41:49見た人たちは
41:55すごいショックを受けて
41:57帰りのバスの中で
41:59感想を聞いたんですけど
42:01やっぱりこれは
42:03核兵器をなくさなきゃいけない
42:04ということを
42:06初めて思い知った
42:07というような発言があって
42:09その後
42:10京都シンポジウムの議論が
42:14ガラッと変わったんですね
42:16あとさっきの
42:19核抑止を超えてという
42:21床川智永宣言に
42:23ほとんどの参加者が
42:25署名したわけです
42:26会議の最終日
42:29核兵器全廃を強く訴える
42:32床川智永宣言に
42:35出席した科学者の
42:36ほとんどが署名しました
42:38床川は
42:40その知らせを
42:42自宅の病床で聞きました
42:44パグウォッシュ会議は
42:54今も続き
42:56去年は広島で会議が
42:57開かれました
42:58パグウォッシュ会議は
43:041995年
43:07ノーベル平和賞を
43:08受賞しましたが
43:10各国の思惑が絡み合い
43:12核廃絶への
43:13打開策を見出すことは
43:15できていません
43:1668歳
43:34療養中の
43:35床川の姿です
43:37自らが署名した
43:41ラッセル・アインシュタイン宣言から
43:4421年
43:45諦めずに力を尽くすことこそ
43:51理想を現実とする力だと
43:53考え続けていました
43:54これもあれですか
43:59これも
44:01床川夫人の
44:03私とはね
44:04じゃあ合作だな
44:06合作です
44:07いいですね
44:09作家
44:09柴良太郎との対談です
44:12ドリコキ
44:16松見る人も
44:18人の世の
44:19平和続けと
44:20祈る
44:21朝言
44:22随分平和ばっかり
44:24言ってこられましたな
44:25世界連邦というのは
44:32実現できれば
44:34これほどいいことは
44:35ありませんですね
44:36だけどこれ
44:38言い続けておれば
44:40人間の世の中というのは
44:42動いていくときが
44:45ありますね
44:46そう思って
44:50やらなきゃ
44:50やれるもんじゃない
44:52やれるもんじゃありませんがね
44:55湯川は
45:0150年後
45:02100年後を見据えて
45:03世界連邦の
45:05運動を続けていました
45:06妻の墨さんは
45:13湯川亡きやと
45:15その意思を継ぎ
45:16運動を
45:17進めてきました
45:18秀樹さんの
45:27思ってたことを
45:29俺言ってるわけです
45:31澄美さんは
45:3795歳と高齢な上
45:40がんを患っていました
45:41世界連邦を推進する
45:57集会での
45:58開会の挨拶です
46:00
46:01あの
46:02あの
46:02仲良くして
46:05あの
46:06大切に大切に
46:08お互いに
46:09詰まりながらも
46:10何とか読み終えました
46:12思いますので
46:13どうぞ
46:14皆さん
46:15よろしく
46:16よろしく
46:16お願い
46:17いたしたいと思います
46:19最後の発言となった
46:26この日の言葉も
46:27湯川の考えを
46:29代弁したものでした
46:301980年代も
46:50より高度な
46:52核兵器の
46:52開発が続いていました
46:54一度に
46:57複数の標的を
46:58狙うことができる
46:59多弾頭の核ミサイル
47:01そして
47:10レーダーに
47:11捉えられにくい
47:12巡航ミサイル
47:14湯川の晩年も
47:23核保有国による
47:25垂直の拡散が
47:27悪化の一途を
47:28たどりました
47:28日本では
47:321981年
47:35元駐日大使の
47:36発言がきっかけで
47:38アメリカの空母による
47:40核兵器持ち込みの
47:41疑惑が浮上しました
47:42病のとこに伏せていた
47:52湯川は大きな衝撃を受け
47:55最後の力を振り絞って
47:57再び立ち上がります
47:59湯川は自らが呼びかけた
48:12科学者京都会議
48:13何としても
48:23比較三原則を守らなければならない
48:26第一線の学者
48:2930人が集まりました
48:30亡くなる3ヶ月前
48:36公式の場で最後となった
48:38湯川の言葉です
48:40最近
48:45事態はますます
48:49猶予すべき状態になっております
48:51私たちは何度でも
48:54初心に立ち返りまして
48:57核兵器の全廃を改めて
49:01これを第二次避けみたいと思います
49:05初心に帰れ
49:10語り終えた湯川は
49:12後輩の教授につき添われ
49:14会場を後にしました
49:16帰り道
49:19車が青い橋に差し掛かり
49:22除光した際
49:23私は
49:25先生の歯を食いしばる
49:27かすかな音に気づいた
49:29そっと伺うと
49:34膝に置かれた先生の
49:36固く握られた拳が
49:38小刻みに震えていた
49:40お宅の門から玄関までは
49:50迎えられた奥様と
49:52両脇を抱えてお連れしたが
49:53ついに
49:55玄関の敷居に立つことができず
49:58ひざまずいて
50:00奥の間に去って行かれた
50:01お姿を
50:02忘れることができない
50:051981年9月
50:19湯川は
50:2174年の生涯を閉じました
50:23歯がわずかに色づいて
50:34庭はすっかりも
50:36秋の佇まいですね
50:37本当に静かです
50:41静かどころと名付けられた
50:44床秀樹の書斎です
50:46とても静かですね
50:47ここに座ってますと
50:51床秀樹が言いましたように
50:52片つむりのようになって
50:54ここにこもって
50:55秘策に吹ければ
50:57本当に
50:58床秀樹は
50:58幸せだったかもしれません
51:00しかし
51:02科学者として
51:03唯一の被爆国
51:05日本の科学者として
51:06核廃絶運動の先頭に
51:08立たざるを得なかった
51:09井川秀樹
51:10その晩年の姿には
51:12何か壮絶という言葉が
51:14当てはまる
51:15執念というものを感じます
51:17この庭を見ながら
51:21床秀樹は
51:22何を考えていたんでしょうか
51:25思うように進まない
51:28核廃絶運動について
51:29彼が残した
51:30晩年の言葉があります
51:32核廃絶運動について
51:41私は
51:42以前から繰り返し
51:44そういうことを
51:45思っておるわけであります
51:46これは
51:48すごく分かりやすい
51:50話なんでありますけれど
51:51なかなか
51:53あんまり
51:54すっと皆さんが
51:56分かってくださらないのは
51:58むしろ不思議なことであると
52:00思っておるわけです
52:01僕らが別に変わったことは何も言うとらへんねん
52:05当たり前のことを言うとんねんねんねん
52:07しかしそれに一つも同調してくれへんじゃな
52:10不思議ですってさら
52:11ユカワの言葉には
52:30諦めにも似たもどかしさは感じますけれども
52:32彼は決して絶望はしていません
52:35彼は物理学の問題で
52:37大きな壁にぶつかると
52:39繰り返し繰り返し
52:40計算をし直して問題を解決したと言われます
52:43核廃絶運動でも
52:46彼は繰り返し繰り返し
52:47人類と核兵器は共存できないと
52:50訴え続けました
52:51まさに
52:53一日生きることは
52:55一歩進むことでありたいという
52:57彼の言葉通り
52:58たとえ困難な道でも
52:59理想を目指して
53:00努力することの大切さを
53:02訴え続けました
53:03しかし
53:05ユカワ秀樹の死後
53:07核をめぐる世界の状況は
53:10彼の願ったのとは全く逆の方向に進むことになります
53:131998年
53:23対立関係にあるインドとパキスタンが
53:27相次いで核実験を実施
53:29核の拡散は深刻化していきました
53:33長い間
53:39核保有の疑いを持たれてきた
53:41イスラエル
53:42ウラン濃縮施設をめぐる
53:46核開発問題が持ち上がった
53:48イラン
53:49そして
53:54アメリカは
53:55標的を限定的に破壊できるという
53:58いわゆる使える核を開発
54:01実践での使用が
54:03危惧されています
54:05去年5月
54:12世界153カ国が集まり
54:15核の拡散を防ぐための
54:17国際会議が開かれました
54:19核を保有する国と
54:41保有しない国とが
54:43正面からぶつかり
54:44会議は決裂
54:45何の合意も得られないまま
54:49議論は5年後へ持ち越されました
54:52湯川と40年近く行動を共にした
55:01物理学者の豊田さん
55:03戦後の科学者たちが
55:08核兵器とどう向き合ってきたのか
55:10もう一度検証したいと考えています
55:13口先ではですね
55:20きれいなことを言ったり
55:22なんかしてますけれども
55:23実際に行っているのは
55:26広島長崎をどうこうって
55:28言ったってね
55:29それを
55:30さらに
55:32強力で
55:35残虐無動な
55:37悲劇を作るのに
55:38一生懸命になっている
55:40それに
55:41そういう科学者まで協力してるっていうのは
55:44一体どういうことなのかと
55:46どうしてこんなに人間は
55:48愚かで
55:50そして
55:50その本当の学問を
55:53どうして知らないのかっていう
55:54先生の意気通りがあると思うんです
55:5710月9日
56:01北朝鮮は
56:03核実験を行ったと発表
56:05核をめぐる状況は
56:11ますます深刻化しました
56:12核の保有が確認されているのは
56:197カ国
56:20保有や開発が疑われているのは
56:243カ国
56:25世界は今も
56:272万7千発の核弾頭に
56:30覆われています
56:31妻の澄さんとともに
56:47京都千音院に眠る
56:49湯川秀樹
56:50亡くなる3ヶ月前
56:55絶筆となった
56:57平和への願い
56:59全ての国
57:02全ての人が納得できる
57:06核兵器全廃の方法が
57:09必ずあるはずだし
57:11必ずそうあらねばなりません
57:14なぜなら
57:17これは人類が生き延びるために
57:21私たち科学者だけではなく
57:23核兵器の恐ろしさを知る
57:26全ての人の悲願であるからです
57:29人類が
57:32本当に平和を願い
57:34幸せに生きることを望む限り
57:39道は
57:39必ず開けると信じます
57:42困難な時代こそ
57:47繰り返し声を上げ
57:49努力を続けること
57:51それを自らに言い聞かせ
57:55生涯貫き通した
57:58湯川秀樹です
57:59ご視聴ありがとうございました
58:29ご視聴ありがとうございました

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