20140104 日本人は何をめざしてきたのか 第5回 福島・浜通り 原発と生きた町 前編

  • 10 年前
福島県東部の浜通り。
原発事故で、今も多くの人々が避難生活を余儀なくされている。
東京電力福島第一原子力発電所の敷地には、戦前、陸軍の飛行場があり、戦後は塩田が開かれた。
現金収入の少ない生活は厳しく、農閑期には多くの人々が出稼 ぎに出た。
福島県は戦前から只見川や猪苗代の水力発電によって電気を東京に送る電力供給地だった。
戦後、浜通りの双葉町と大熊町は原発を誘致し、1971 年、第一原発の稼働を迎える。
新たな雇用が生まれ、人々は出稼ぎをせずとも暮らせるようになったが、初期の運転トラブルに対する疑問から反対運動も生まれた。
国は1974年電源三法を制定し、巨額の交付金を配付。
町の財政が潤うなかで反対の声も次第に小さくなっていった。
しかし、1990年代になると、交付金で建てた公共施設の維持費などで町の財政が悪化。
さらなる原発の増設を求めていった。
そして迎えた2011年3月の原発事故—。
浜通りの人々は、今、原発と共に生きてきた戦後をどのように見つめるのか。

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