• 11 年前
「慰安婦」」などの橋下市長の発言が、物議をかもしています。橋下市長に面談する予定だった元「慰安婦」の女性がどのような思いで戦場を生き、今を生きているのか考えます。
ハルモニ「とても心が傷ついて、皆さんに会いに来ました」  
金福童さん(キム・ポットン)は日本軍の「慰安婦」にされました。金さんの心を傷つけたのは、ある政治家の発言でした。
「軍の規律を守るためには、慰安婦制度が当時は必要だった」
橋下市長はその後も主張を続けました。
「世界の戦場でもあったことで、戦場の性の現実だ」と、今も発言を撤回していません。
実はこの橋下発言は去年9月の面会要請がきっかけでした。

金福童さん
「証拠を出せと言われたから、生き証人として命がけで来た。市長が対応できないとはどういうことか。市長を出して欲しい」

「慰安婦を強制連行した証拠はない」と発言した橋下市長に、金さんは「私が証拠だ」と大阪市役所を訪れたました。
結局橋下市長は面会せず、担当部長が対応しました。

<「慰安婦」と国家的隠ぺい>
「軍服を作らなくてはいけないと、嘘をつかれて、軍服を作る向上だと言われて、連れていかれた所で、軍人の性の相手をさせられるという、残酷な歴史を御存知ですか」
だまされて戦地に連れて行かれて、その後は帰ることが許されなかった。これを強制連行でなかったと言うのかと、橋下市長に直接、訴えたかったのです。

1938年11月「内務省警保局文書」つまり警察のトップが出した文書。
「中国の慰安所に向かわせる女性を集めるよう」、5つの府県に通知した文書。
どこまでも「経営者の自発的希望に基づくよう取り運ぶように」

林 博史(関東学院大学教授)「本当は軍や警察が組織的にやっているが、それがわかるとまずいと、業者が自発的にやっているように装えと、警察トップが各知事に対して指示がなされていると。まさに、国家ぐるみの犯罪を、隠ぺいしようという意図がはっきりとあった」

宮古島市
かつで戦場だった沖縄には百数十か所の慰安所が作られたのです。
与那覇博敏さん(80)
「慰安所の前には。兵隊さんが並んでいる姿は見ています」
宮古島に駐屯したある将校の手記。慰安所の開設にも関わった将校です。
「毎日押すな押すなの繁盛ぶり、皆朝鮮から来た」沖縄にも大勢の朝鮮人「慰安婦」が連れて来られていました。
朝鮮人慰安婦は、当時「朝鮮ピー」と差別的に呼ばれていました。
当時13歳、慰安所があったために、通学路を変えたと言う女性です。友利千代子さん(81歳)
「兵隊がずっと並んで、『朝鮮ピー』と誰かが教えたから、あそこは通るのをやめようと」
慰安婦は当時、一日数十人の兵隊の性の相手をさせられました。拒否することも、もちろん逃げることもできず。
中国の慰安所で順番を待つ日本兵たち。
狭い部屋の中は戦場そのものでした。
沖縄に配備された第62師団の会報。
「飲酒の上、慰安所にて暴行をなすものあり。無理を強要し、断らるるや、投石し暴行」

吉見義昭(中央大学教授)
「たいへんなものですね。精神的には絶望的状況にある。『慰安婦」が自殺したと言う記録もあるし、元「慰安婦」の方の証言で、自分の仲間が自殺したという証言もあるので、(自殺は)少なくなかったのでは」
自殺にまで追い込まれていった「慰安婦」たちの、貴重な証言テープが残っています。
南方の戦地で慰安婦として働かされた城田すず子さんの証言(仮名:敗戦当時24歳)
「砂糖に蟻がたかるみたいに、兵隊がむさぼり尽くすとは思わなかったの。体が空く暇もないの。びっくり仰天して、毎日泣いていたのよ。自殺した女の子がいっぱいいる。とても耐えきれないと言って、(戦後)出航する時に、雨がざあざあ降ってきた。死んで土に埋もれた人たちが、泣いていると思った。

沖縄で証言をきかせてくれた金福童ハルモニ
「軍人の奴隷にされ、踏みつけられ、引き裂かれ そうした生活を送って、いまだに謝罪がない悔しさがわかりますか」
金さんは一週間後橋下大阪市長との面会が決まっていました。
面会当日、大阪市役所前では警察や報道陣、市民グループでごった返していました。
ハルモニ側が面会を取りやめたことが発表されていました。
「被害者の胸痛む現実と歴史は、謝罪パフォーマンスと引き換えには出来ない」との理由でした。
尹 美香さん(ユン・ミヒャン韓国挺身隊問題対策協議会共同代表)
「市民や若者たちとの出会いを通して、平和を作ろうとハルモニは決めたので、面会を断ることになった」

5月25日証言集会(大阪市)
面会がなくなって、金さんたちに笑顔が戻ったと言います。
市民団体主催の証言集会です「妄言を言う人がなぜ市長をしているのか、理解できない。政治家の服をぬいで、家庭の仕事をすればいいい」
橋下市長とは、もう会わない。
「(橋下市長は)辞めろ!」
過去の傷と誠実に向き合う事でしか、彼女たちの心の傷を癒すことはないのです。

橋下さんの発言で今、クローズアップされていますけど、そういう一過性のものではなく、戦争が起きると人はどうなるのか、戦争はどんなところか、加害性とか、精神的にも肉体的にも想像を絶する苦しみを味わった女性たちには、真剣に時間をかけて考える必要がありますね。私たちウチナンチューも口をつぐんできたことですが、正面から向き合いには時間が限られていると思います。

2013年5月下旬(TVディレクター原義和さん)