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00:00その方のご自宅が。
00:29こんにちは。
01:29そのご両親が。
01:31ロケロー。
03:03順番に。
03:05ロケロー。
03:07こんにちは。
03:09ここに。
03:11ゆうやさんときりんさんの素敵なお写真ですね。
03:15昨年は母の生回帰で、今年は父の生回帰だったので。
03:21もうそんなんであるの。
03:23何かこう節目の時に大泉さんにおいでいただいてとてもありがとうございます。
03:33お写真の距離感というのも先生が一緒にいる時間が少なかったもので急に一緒にくっつけると。
04:13今まではね、ちゃんとした生活してないんですよ。
04:15結婚もしてないのにね、離婚などとおこがましいと思ってるわけなんですよ。
04:21突き通ってますね。
04:22要するにカミペラの結婚しかしてないのにね。
04:24面白い。
04:25きっとした結婚生活なんか全然やってない。
04:27主人は主人の役目果たしてないもの。
04:29本当にこの野郎を食わせろと。
04:31ね。
04:32すごい。
04:33この野郎を女作るなとちゃんと言ってね、やっていかなきゃダメだということ。
04:37結局、離婚無効の判決が下り40年以上にわたり別居しながら家族であり続けました。
05:04ちょうど24年目ですかね、24年目前に母の提案で私が結婚して家庭ができて子どもたちができてって言ったときにやっぱり子どもたちはいろんな世代の人間と暮らすのがいいと。
05:24勝手に押しつけられて2世帯住宅を提案されてで夫は他人じゃないですか当たり前だけどだから私はそこがちょっと気がかりだったんですよね役者が2人家の中でいるっていうのは確かにでもそれは2人ともとっても率直で何でも言い合える最後の中になっていてある意味母も頼っていたし本木さんも母を頼っていたしっていう。
05:54父と父の友人の母の方がここに来て何日かも寝泊まりしてこちらで実際ですか?そうなんです。
06:04これは京都の奨励院で木村さんが蓮の花の四季折々の移ろいを描くってほしいという依頼があってこれはボツってなった絵を母がそういうの大好きなんでなんか私みたいじゃないって枯れていく蓮があって言って父のお部屋も作ったんですけどもそこには住むことは一度もなく一度もなく泊まることも一度もなく
06:32生涯を閉じましたけれども一度も一年に一度とかそういう何かの時にはそうですね元旦とか2日とかにみんなでご飯食べたりあるいはもう本当に年に1、2回ですよねはいこれこう
06:52あっすいません
06:56であのまあ本当小さいもう家なんですけどここは
07:00うわっこのステーブルガラスになってるんですか?
07:02実はこれマリア様だと思うんですけど母のあのお友達が譲ってくれたそうでちょうど家を建てて買われることがなかったそうですねこれは雄也の個室なんですけれどもまあいろんなお板をしてきた方なのでちょっと懺悔室のようなだからマリア様面白い
07:26ああこうマリア様をね目指ってっていうことらしいんですけどそうしみてこうユーモアというかそういうのに変えられるキリンさんって素敵ですよねそれだけたくさんの事件があったというかすごい家族のヒストリーすごいですねすいませんあまたリビングも素敵ですねこちらがまあ本当にワンルームなんですけどダイニングとここが母の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族に
07:56家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の家族の
08:26The body's like a big picture.
08:28You can't see any photo, right?
08:30It's like a photo I'm going to use.
08:33That's a great photo to me.
08:35I think it's nice to see.
08:37That's a beautiful photo.
08:40It's a beautiful photo.
08:42I'm going to put my mom here in the room.
08:43I'm going to put my mom there on the room.
08:45I'm going to put my mom here in the room.
08:47I'm going to sit here in the room.
08:49I'm going to put my mom here and look.
08:53because I started making the bag.
08:55It was first time I had a backpack,
08:58and I went I had a piece of soap that was
09:00inside the bag.
09:01I needed a piece of soap,
09:02and I I had a piece of soap and it was
09:07that I had a piece of soap that I took,
09:08and I had a piece of soap soap that was
09:11about myself.
09:13I knew it was about how to use the soap soap.
09:16Zchkai with some of my kids from
09:20and all of my kids,
09:22僕の父も靴下から手袋えっ父もう83ですよ自分の大学時代なんで多分60年前のスキーのスキーで使うグローブってあるんですかあれを鍋つかみでまだ使えるじゃないかって口癖です。
09:52つい最近もう僕その場にいたんですけど僕がずっと子供の頃から見ていた普通のトースターですよ食パン薬ジーってタイマー回してで途中で熱がポーンと出てくるんですよ。
10:52カメラパッとコースター買いにえっ?
10:55更にリビングにあるこちらの家具類も捨てるはずだった廃品をキリンさんが譲り受け再利用したものこちらのおしゃれなランプもこれは映画賞で女演女優賞もらったこのトロフィーがちょうどランプにするのにいいのよっていってランプになっちゃったんですか?
13:51もう一緒に住んでないんですけどもたまに実家のご飯食べに帰ってきたりとか。
13:57自分がここに住んでた時は奥の夕暗部屋さんもある。
14:04夕暗部屋って言うんです。
14:05夕暗部屋さんから見てこのおじいちゃんおばあちゃんっていうその物心ついた時の印象っていうのはどういうふうな印象だったんですか?
14:15そうですね祖母はもう本当におばあちゃんおばあちゃんおばあちゃんおばあちゃんザおばあちゃん。
14:27母はあんまり私たち家族におもてなしはしてくれなかったけどやっぱり初孫だったから。
14:34違うんですかねそこは。
14:35いい写真。
14:36かわいいね。
14:37かわいいですね。
14:382人でいろんな旅にも行ったり。
14:42へえいやや子さんから見てもやっぱり娘と孫っていうの違うんだなっていうのは感じますか全然全然悲しいぐらい違うんですけどでも祖父は今もう祖父って呼んでるだけでちょっと違和感あるんですけど実際は何て言ってたんですか?
15:00もうゆうやって呼んでたんですよ。
15:16ゆうやもやっぱり子どもとねあんまり接した機会がなかったから歌に対して興味を持って観察し合ってる感じの人が嫌がってるおじいちゃんと孫のそういう関係性では全くないですね全くと言っていいほどないですね異物交流みたいな。
15:43今年はそんな内田裕也さんの七回帰という特別な年そこで番組でも貴重な映像ちょっと集めてみましたので一緒に見させてください超貴重映像満載後世に伝えたい内田裕也さんの五大伝説え?
16:06何か近まったんじゃ。
16:09引きキリンさんとロックで共演。
16:13その映像が残されていました。
16:15この映像が残されていました。
16:16面白い。
16:17組み合わせだ。
16:18ふーん。
16:19今夜はプラチナファミリーカジ野郎合体2時間スペシャル。
16:56ビートルズと共演ロックンローラー内田裕也さん日劇ウエスタンカーニバルなどでエネルギッシュなステージを繰り広げていましたその時の貴重映像がこちら!
17:48実は当時26歳の内田裕也さんは共演していたんですその証拠となるのがこのパンフレット。
18:07確かに内田裕也さんの名前が内田さんは後に当時のことをこう語っていました
18:25すげえ嬉しかったね俺はビートルズと共演したことだけは生まれてきた子供に誇りを持って話せることだと思うんで続いてはキキキリンさんとロックで共演その超貴重映像がこちらへぇそれでは何かみっともないんですけど生まれて初めて一生のステージやるので温かい拍手で迎えて下さい。
18:53Ladies and gentlemen, my fucking wife!
18:58なんちゅう紹介してるんだ!
19:02あ、すごっ!
19:08お前、なんだ?
19:10おばあちゃんの格好でね。
19:15そうか、テラルチカンタロン。ドラマの役で。
19:19面白い。組み合わせだ。
19:23歌うまっ。
19:28すごい。こんなロックな歌おる。
19:32めちゃめちゃめちゃかっこいいですか?
19:39すごい。
19:41なんでこんなのあったんだよね。
19:43すごい。
19:44下一順の曲。
19:47金優が女房.
19:51おかちゃんイチヤクです。
19:53すごい。
19:54久々。
19:55何だったの?
19:56ね、笑っちゃってます。
19:58笑っちゃってますさぁ。
20:00ww
20:01かかな男のロクンロー。
20:03かかな男のロクンロー。
20:05かかな男のロクンロー。
20:07He was so cute.
20:09I'm scared.
20:11I'm scared.
20:13I'm scared.
20:15It was so cool.
20:17I was so excited.
20:19I was surprised.
20:21He was a little bit younger than me.
20:25He was getting out of his way.
20:27He was like, you're so cute.
20:29But, I was like, you know.
20:31He's a friend and he was like,
20:33続いては、ロックシンガーだけではなく、音楽プロデューサーとしての一面も持っていた内田裕也さん。
21:01実は最初にスカウトした大物が沢田健司さんや岸辺一徳さんをはじめとする伝説的バンドザ・タイガース。
21:26当時ファニーズというバンド名で大阪のジャズ喫茶で活動していたところをスカウト。
22:06ロックシンガーだけではなく音楽プロデューサーとしての一面も持っていた内田裕也さん。
22:18プロデューサーとしての最高傑作といわれるのが。
22:28ジョー・ヤマナカさんをボーカルとした4人組の日本人バンドフラワートラベリンバンド。
22:38当時日本でもあまりなじみのないバンドというのもフォークソング全盛期だった1970年に全て英語の歌詞のロックでレコードジャケットもなかなかに攻めています
23:08日本を飛び出し海外の音楽チャートにランクインさらにその音楽的センスは多くのミュージシャンに影響を与え世界の歌姫ビヨンセとその夫JGがサンプリングしたりジョン・レノンの息子ショーン・レノンなどの大物アーティストがカバー。
23:34そしてこのフラワートラベリンバンドには孫の詩さんも思い入れがあるそうでちょうど去年JZとビヨンセが東京に来日するっていうプライベートな会があったんですけどその会に行かせていただく機会があったので絶対本人に言おうと思って。
24:03で本人と対面した時そのバンドをプロデュースしたのが自分の祖父なんですよって言ったらえぇってびっくりしててでそこからこうあの少し話が弾んですごいですよねその巡り合わせも。
25:23年越しロックフェスをいち早く開催しその流れを作ったのが内田優弥さんなのです。
26:00このイベントは日本の年越しロックフェスの中でも最も長く続くイベント。
26:07そして27年前からは家族全員で参加スタートした時にまだ知り合ってない男と女がいろんな新しい生命が生まれるというそういう意味では世界に霊夢がないコンサートで。
26:53歌うまかったもんなもっくん。かっこいいなもっくんやっぱり。
27:05衝撃がすごかったと思うんですよ年越しフェスってその50数年前だったら日本人当たり前にじゃあ初詣とかねジョアの鐘を聴いてとかあるわけじゃないですか日本人としてとかそれをそれをぶち壊すって結構すごいことだと思います。
27:21そうなんだ今年越しは楽器をジャンジャン弾いて今の感覚とは全然違うと思いますよね非常にかなり悲んだことだと思いますからね嗣子さんはこの年越しライブとかには出られたこと?
27:34私はね、そこに出れません。そんな怖いです。
27:37怖いです。
27:38すごいだろうと思うから、そういうところにはいかないわ。
27:41ここには出られたことになりますね。
27:43あの方、本当にどこの大きい声であるかわからない。
27:48さらに、今や音楽シーンの定番、野外フェスの原点となるイベントをプロデュースしたのも内田裕也さん。
27:59すごいな、内田裕也さん。
28:01今から51年前の1974年福島県郡山市で行われたワンステップフェスティバル屋外に5日間で7万人の観客を集めるこの大型フェスすごい豪華なゲストも次々となんと小野陽子さんも。
28:30さらに1970年代にはロックというジャンルを超えさまざまなアーティストが一堂に会するライブロックンロールバカを開催。
29:44さらに俳優だけではなく映画の企画や脚本にも携わり、さまざまな名作を生み出しました。
29:56さらに俳優だけではなく映画の企画や脚本にも携わり、さまざまな名作を生み出しました。
30:081983年には実際にあった事件を題材に自ら企画、脚本、主演をこなした映画10回のモスキートを公開。
30:22すごい迫力。
30:24さらに。
30:27あ、そうそう、これ知ってる。
30:30えっ。
30:311986年公開。コミック雑誌なんかいらないでも内田さんが企画、脚本、主演を。
30:39日本で実際に起きた事件をテーマに内田さん演じる芸能リポーターがさまざまな現場に突撃取材をする姿を描いた作品この映画で本物の報道記者に交じってゲリラ撮影あまりの過激さに映画会社から配給を断られたりもしましたが。
31:09海外から高く評価されカンヌ国際映画祭に招待今では日本映画史に残る名作となりましたさらにCM出演でも内田裕也さんは世界を驚かせましたまずはそのCMをご覧下さい
31:39実はこのCMの
32:06New York's HADSON川を内田裕也さんがスーツ姿で実際に泳いで撮影したもの。
32:13そのアイデアは内田さんが出したそうで。
32:20よくでもニューヨーク市当局が許可しましたね。
32:41そして自身が手がけた映画、魚から大浮き心である人物との出会いが。
32:50ご視聴ありがとうございました。
33:13当時26歳の実はこの映画の3年後娘やや子さんと結婚
33:40内田裕也さんが手がけた映画魚から大沖心である人物との出会いが。
35:40最初はそうだったんですけどその後にお仕事で私が映画の裏方のアルバイトを16歳のときしててアメリカのロサンゼルスでアカデミー賞を日本で初めて中継するときがあってそれの司会が本木さんでロスで1週間ぐらい一緒にいる機会があって。
36:10そこからずっと文通が続いてお互いに思いが恨んだまま19歳で彼が寝てきてた結弥さんも俺には権利ないんだとか何か父親?
36:26くだらないこと聞いても申し訳ないですけどやや子さん例えば学校のときに授業参観とかそういうのはゆえさん来られたこと?
36:40来たら困ります。さすがにないっすか?ちょっと気になっちゃったです。
36:47孝太郎さんはあのお父様?授業参観は何度かありますね。
36:52へえ。
36:53理知気なお父様ですね。
36:56何でその姿勢でね先生の授業とか。
36:59へえ孝太郎さんに?
37:01先生にも注意しちゃうんですよ。
37:04先生一番緊張しますよ先生ももうちょっと声を大きく話してあげないと後ろの席まで届かないとかねあと字はもっと書いてあげなさいとかタイプはもちろん違いますけどゆうやさんのようなダーンとしたエネルギーがあるんで僕はだから常にやっぱり父親といると緊張感は。
37:56そして古くから親交がある徹子さんの前で内田裕也さんは家族への思いを語っていました。まずは八々子さんが生まれて4年後の1980年すでに別居中の裕也さん。
38:19この方っていうのは自分が親になってみてねまあ親の気持ちが分かるとかっていうふうにおっしゃることもあるけどあなたはどうぞそこ自分お嬢さんをお持ちになってみて。
38:29いやまだ今年1回も会ってないんで。
38:32えっ。
38:33あーそう。
38:34っていうかあのもうずっと別居して3年ぐらいになりますからね。
38:38あーそう。
38:39じゃあお嬢さん今いくつぐらいになったんでしょうか。
38:43うーんと4つになりましたけども。
38:45あーそう。じゃあもう赤ちゃんの時からっていらっしゃらない?それじゃあ1つぐらいの時から。
38:51いやたまに会うんですけどね。会って去年のコンサート時も来たんだけど。
38:56やっぱり一緒に住んでないとね親子っていうのはキョトーンとしてるんですよね。
39:00これあのピンクレディだとかこれサワダだけどって言ってまあテレビぐらい見てるんだろうなと思って紹介してもなんか
39:07奥津道夫ちゃんが連れてきてくれたんですけどキョトーンとしてるからじゃあまあお前俺誰だか知ってるのかよって横向いてくって横向くから親子も断絶だなと思ってるんですからねああ懐かしいな。
39:23けど何か内田雄也さんのこと怖い大きい声出して怖いとかおっしゃってたわりにはこういう時にも切り込んでいきますよねそうですねすごいですよねテツコの部屋ってもう戦闘体制ですよねテツコさんが引いてる感じじゃなくてそんな内田雄也さんのことをお孫さんたちはどう思っているのかそれを確かめるためにえっ?
39:51行ったのフランスねすごいすごいねやっぱり行きたいなあ
39:59アーキュー
40:01アーキュー
40:03この方っていうのは自分が親になってみてねまあ親の気持ちが分かるとかっていうふうにおっしゃることもあるけどあなたはどうぞそこ自分お嬢さんお持ちになってみていやまだ今年1回も会ってないんでお前俺誰だか知ってるのかよってね
40:20横向いてくって横向くからこの35年後ややこさんも結婚3人のお孫さんも生まれた内田家について内田雄也さんは改めて徹子さんの前で語りました雄也さんにとってお嬢さんのややこさんっていうのはどういう存在ですかね?
40:45いやまあ一口で言ってまあ僕はめちゃくちゃなんですけどもまあ
40:51一人自分の娘がいるということは本当にあの心から良かったなと思いますそれとまあグレないでね普通の俺がほとんどあのあちらとはあの一緒にほとんど暮らしたことが少ないんでまあ彼女が育ったようなもんですけどもちろんだけどこうまあ
40:53DNAはねやっぱり一応俺も親父で自分の娘がいるということは自分の娘がいるということは本当にあの心から良かったなと思いますそれとまあグレないでね普通の俺がほとんどあのあちらとはあの一緒にほとんど暮らしたことが少ないんで
41:23そうそう奥様はこの5月に徹子の辺にいらっしゃいましてねご自分のえっと孫の話もちょっとしていらっしゃるのでちょっと見ていただいていいですか?
41:33孫もちょうどね孫孫かわいいね3人もいてうんそうなのねでもねこの内田優弥さんがねうん旦那さんこんなに普通の顔しておじいさんになるとは思わなかったなるほどうん収まるところに収まるもんだなと思うであの旦那様と玄人君が話してる時なんか見てる時ある?どんな話してんの?
42:01うんあの玄人は私のこと嫌いなんですねどうして?分かんないんですけど生まれた時から
42:10そんなことは言えないと思うんですか?こういうふうにやるの私
42:14あなたのこと?うんそれでやめてって言ったのがそういうふうにおかしい
42:22そしたらうちのあの内田さんがねお前今玄人機嫌がいいから声かけてみろ声かけてみろだから
42:31玄人機嫌めってーそしたら内田さんが面白えなーなんでかなーって
42:39お父さんにはいいのいいですねお父さんおじいさんおじいさんにはいいのうん
42:46ゆうや会いたいなーってええーえーうんうん今のは完全なら事実です
42:54ははははははは
42:56ゆうや会いたいなって言ってるっていやーまああんまり目の前じゃ言わないんですけどまあ賭けでそう言ってくれるとねうれしいでしょううんやっぱりあのうれしいですねやっぱりねえかねえ?
43:05I'm really happy.
43:07I'm happy to be here.
43:09But now, it's all really good.
43:11What's your wife?
43:13You're a cute person.
43:15I'm not so happy.
43:17I'm so happy to be here.
43:21I'm so happy to be here.
43:25I'm happy to be here.
43:27I'm so happy to be here.
43:29I'm so happy to be here.
43:31I'm happy to be here.
43:333人の孫に恵まれ娘夫婦と7人の家族一家全員がそろった時には必ず家族写真を撮影することがいつしかうちだけの習慣にその最後となった撮影のシーンが残されていました
43:54大きい。
43:56歌詰まる中心に。
43:58歌詰まる中心に。
44:00歌詰まる中心に。
44:02歌詰まる中心に。
44:04大きい。
44:06こちら。
44:08こちらが素敵だ。
44:10かわいい。
44:12いい写真。
44:16中田家にとって黒柳徹子さんの存在って本当に大きいんだなと思いましてやっぱり徹子さんのそのすごく素直な好奇心旺盛な質問の投げかけ方でいろんなこと言っちゃってるじゃないですか二人で。
44:34歌詰まる。
44:36はい。
44:37あのもいも夫婦へさんらしくて。
44:39自分とか妹とかには話す時は本当にこうこっちも共感できる様な話とかしてくるので例えばスポーツだったりとか自分の場合はずっとなんかバスケの話とか。
44:52それ常にその時代のこう有名な選手だったりとかニュースとかずっと英語で知ってくれてたんです。
44:59舐められない。
45:01逆にこっちがどうして知ってるのとか。
45:06バッシュ入ってたらあれこれあのプレイヤーのモデルでしょとか分かってるんですよ。
45:11キャラさんと悠也さんの関係っていうのは?
45:14初めての女の子の孫っていうことでちょっと距離感が押し量ってるなっていう感じはしましたし。
45:23多くは2人で悠也とキャラは言葉を交わしてはいなかったかもしれないけれども何かとても強い2人にしか通じ合えないシンパシーみたいなのがあったと思うんですよだからキャラにね聞いてみたいよねどういうエピソードがあるかそれぞれのエピソードがあるでしょうからね皆さん。
45:45ということでえすてきパリ行きたいなあきれいまあきれいなお嬢さんこんにちは内田キャラと申しますプラチナファミリーですよろしくお願いいたしますよろしくお願いいたします。
46:12長女のキャラさんは12歳から家族でロンドンで暮らしニューヨークの大学へ進学そして昨年1月からはパリの大学院に留学さまざまな言語や文化を学ぶグローバルコミュニケーションを専攻していますへえ。
46:38実はここパリは家だけにとってゆかりの深い場所。
46:44実は母が結婚する前までパリに住んでた時期があってちょうど私と同じように学生だったんですけど。はい。
46:56そして?
46:5860年代にあの祖父のゆうやも住んでいたとはい聞きました数ヶ月か住んでいた。
47:10ゆうやって呼んでるんですね。
47:12はい。ゆうやといつも呼んでいたので。
47:14皆さんお孫さんはねゆうやなんですね。
47:16おじいちゃんとかじいじとかはい。もうゆうやっていう存在でしか知らないですね。
47:24キャラさんにも内田ゆうやさんの映像を見てもらいました。
47:30あ、いた。
47:34スタートした時にまだ知り合ってない男と女がいろんな新しい生命が生まれるというか。
47:42面白い。
47:44みんな若い。
47:50キャラちゃん。
47:52泣いてる。
47:54毎年家族で行くっていうのが定番だったんですが。
48:00正直に言うともう夜中で眠いし。
48:05今見ると笑っちゃうけど多分その時はもうすごく嫌だったと思います。
48:11子供の頃は。
48:13最後に行ったのが2018年、2019年に明ける時に家族5人で行ったんですが。
48:24その時がリハーサルは車いすで。
48:28でも本番の時に一応立って歌ったりもしてたので。
48:33その時見ながら本当に好きなことへの力っていうのは。
48:42すごいなと思いましたね。
48:47実は家族の中で最後にゆうやさんに会ったのがキャラさんでした。
48:53最後が本当に亡くなる前日だったんですが。
49:04ちょうどゆうやが体調を崩してて。
49:07入退院を繰り返してたので。
49:11私がまだニューヨークの大学に行ってて。
49:15春休みで日本に帰国してたんですが。
49:20その日のうちに会いに行ってお見舞いに行ったんですが。
49:26病室では2人だけで。
49:29私はゆうやの隣に座って。
49:32私からいろいろ大学の話とか。
49:37最近何やってるとか。
49:40どれくらい伝わってたのかはよく分からないんですけど。
49:45たぶんゆうやもすごくほっとしたのか。
49:51それで寝ちゃったので。
49:53ちょうどその時に私も携帯で写真を撮ったんですけど。
50:02手を支えていて。
50:05その写真を今見ると本当にあれが最後だったんだなっていう。
50:15人から見るとどんなおじいちゃんだったんだろうって。
50:20思うと思いますが。
50:23あんなに見た目がちょっと強くて。
50:27ちょっと怖い。
50:29ロックな見た目でも。
50:32実はすごく可愛がってくれてたんですね。
50:37特に私たち孫たちには。
50:40すごい優しいゆうやの姿を見せてくれました。
50:46そして次男ゲントさんはゆうやさんのことをどう思っているのかふだんはテレビにほとんど出ることのないゲントさんにこの方が聞いてくれました。
51:03ゲント、七回転お疲れさま。
51:09一応改めてゆうやについて何かコメントお願いします。
51:13何か覚えてることとか思い出とか。
51:19まあ生きてる頃はまだ小さかったけど。
51:24やっぱりゆうやのコース。
51:27あの強い甘い匂い生きてたらまだ話せたかもしれないねうちでファミリーってどんなファミリー?
51:41不思議何が不思議なんううんわかるようで分からないっはっはっはっはっはっ!
51:53源徳くん撮影をしてくれたのは本木さんね源徳くんは優也さんの絵を描いてたんですよねあれきっと感性の塊ですねこのお孫さんたちもねやっぱり優也優也って呼んでみんなおじいちゃんが大好きだった大好きだったね
52:13私が思春期の頃なんであんなお父さんと別れないのって聞いたことがあるんですねそしたら母が私の人生にとってああいうある種わけのわからない存在っていうのがとっても必要なんだっていうと普通の人では虚無感みたいなものが埋められなかったと
52:36だけれども優也と出会った時にはこんなめちゃくちゃな人と一緒になったら自分はそのことで人生を一生懸命生きていけるんじゃないか
52:48会えば喧嘩だったけれども2人がお互いを求め合ってるっていうことを見れたので最後に最後の最後に例えば2人で私がいない間にちょっと温泉行ってきたんだよとか
53:02私としてはもう斬新な想像を絶する出来事があって優也も母にあの俺たちあの何十年前に離婚裁判したけど別れなくてよかったなーって孫たちもみんないてこんな幸せなね結末もねーなーって言って笑ってましたけど
53:26最後の最後に2人が命を閉じる時にお互いをリスペクトし合ってるっていうなくてはならないかけがえのない存在だったんだっていう姿をちらっとだけ見せてもらえたからなんかこう自分の中で負に落ちたっていうか。
53:44私もねどうしてだろうっていつも思ってたんですよねどうしてあんなめっちゃくちゃみたいな人とね仲良くなるのかなと思ったりとかいろいろだったんですけどやっぱりね好きだったんだと思いますよ好きだったと思います。
53:58そんな2人の両親からややこさんが受け継いだものがありました。
54:17今日の取材で訪れたというのがこちらなんです。
54:21はいそうなんです。これがこの戦没画学生慰霊美術館無言館です。
54:29まさかここの共同監修に着くとは夢にも思ってませんでした。
54:35ここの共同監修なんですか。
54:37はいそうなんです。
54:38そうなんですね。
54:39実は今年の夏に監修の久保島誠一郎さんに一緒に引っ張っていってくれないかという大きな役目をいただきまして。
54:52そうなんですか。
54:53はい。
54:54画学生たちだいたい10代終わりから20代、30代、その戦争に駆り出さる前までの若い人たちの描いた絵。
55:14彼らがもう青春真っ盛りの時に純粋にこの絵を描きたいっていうそういうエネルギーがたくさん詰まっている。
55:24若い人、戦争を知らない私も含めていろんな世代の人に純粋にこのアートを楽しんでもらって何を感じるか足を運んでいただきたいなと思っております。
55:37戦争とは遠く離れた時代を生きた八弥子さんがなぜ無言館の監修になったのか。
55:55そこにはキリンさんとユウヤさんが生涯抱いていたある思いが。
56:02実は母キキキリンが戦後70年のドキュメンタリーの旅というのの旅人として母がここに立ち寄った時に久保島さんと出会って。
56:15直接母に紹介されたわけではないですけれども、母がちょうど他会する頃私に頻繁に声をかけてくれたことの一つに、
56:25あなたはもうそろそろどこか日陰になっているところをそこが日向になるような、
56:32誰かのために役立てるような人生にこの先していってねっていうことを。
56:39父はそのアフガニスタンの戦闘地に一緒に行ってそのチャリティーのイベントをしたりとか
56:46ニューイヤーズロックフェスティバルでもNo War、戦争はしない。
56:51そして核兵器反対とかって必ずステージにも書いてあるし、
56:56純粋に平和っていうものを信じて直結していたと思うし、
57:02今となっては私もそういう父をまばゆいなっていうふうに思いますね。