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教育
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00:00兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故からまもなく20年事故の風化を危惧する遺族もいます
00:09107人が死亡したこの事故で瀕死の重症から回復後も記憶障害という後遺症に向き合い続けてきた女性の20年です
00:202005年4月25日午前9時18分兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車が脱線しマンションに激突した
00:36運転士1人と乗客106人が死亡した
00:42スピードを出し過ぎカーブを曲がりきれなかった電車
00:52犠牲者も負傷者も1両目と2両目の乗客に集中した
01:07小杉茂さんと安子さんは1両目に乗っていた
01:11遺体が見つかったのは事故の翌朝
01:17告別式では息子の健太郎さんが模試を務めた
01:23父親がやっぱり母親を上から守るように
01:29こう覆いかぶさって漁師見つかったということを聞いて
01:35父親が本当に最後に夫として
01:38妻を守りきったというのがすごい
01:41これですね家の元になってるんですね
01:46いけますね
01:48いけますね
01:50事故から20年
01:55健太郎さんは41歳になった
01:58今も覚えているのは遺体の確認の時に立ち会った警察官が
02:04声を震わせながら頑張れと肩を叩いてくれたこと
02:10大学生だった自分を周りの大人が必死に守ってくれていたと
02:17当時を振り返る
02:19いろんな大変なことが多分あの時もあったんだろうけど
02:22それを皆さんカバーしてくださってというか
02:27しんどくならないようにやっていただけたんだなというのを
02:30大人になればなるほどありがたかったというか
02:34いうふうに思いますね
02:35健太郎さんは今2人の男の子の父親だ
02:48一人っ子だった健太郎さんは痛烈に思う
02:53にぎやかな孫たちの姿を両親に見せたかったと
02:58足っこももに隠れてね全然見つからなかった
03:01可愛がってくれるだろうなというのは
03:03あとは父親とかがどんな顔をするのか見てみたいですよね
03:07母親は多分手回し喜ぶと思うんですけど
03:12神戸市に住む植田博さんと厚さん親子
03:23次男の正樹さんが2両目に乗っていて亡くなった
03:32あの顔がもう20年経ったら撮れんで
03:37もうすぐ40やで
03:40上田さんはJR西日本の社員と
03:47非公式の意見交換会を行ってきた
03:50今も年間60人ほどの社員と話をするが
03:55気になることがあった
03:58会社は伝えていくって言いながら
04:06実際はほとんど伝えていない
04:08亡くなった人数も分からへん
04:11いう人もおんねんから
04:12それはもう風化以外の何もんでもない
04:15JR西日本は新入社員研修などで事故のことを伝えているが
04:25十分ではないと上田さんは話す
04:297年前に完成した慰霊碑のすぐ近くに事故車両を置いてJRの社員は事故の現実を知っておくべきだと訴えてきた
04:4469歳になった広志さんは体調を崩しがちだ
04:52父親の医師は正樹さんの弟で三男の厚志さんが受け継ぐ覚悟だ
05:00事故のことを知らないJRの社員の人たちに僕の実際の声をお伝えして安全というものをやっぱりないがしろにしてはいけないんだというのをやっぱり伝えていきたいなとは思います
05:24人々の記憶は年々薄らいでいく
05:32一方で事故の記憶と今も向き合う女性もいる
05:3920年前に起きたJR福知山線脱線事故
05:46107人が亡くなったこの事故で108人目の死亡者になるのではと言われてきた女性がいる
05:55鈴木純子さん当時30歳
06:00設計やデザインの資格を取るため講習を受けようと大阪に向かっていた
06:092両目に乗っていた純子さんは562人の負傷者の中で最も重傷の一人と言われてきた
06:24見つかったのは事故からおよそ5時間後
06:31意識はなく年齢も性別もわからなかった
06:36搬送する直前呼吸が止まった
06:41医師はすぐ人工呼吸を行った
06:45純子さんは全身を強く打ち脳に致命的なダメージを受けていた
06:54医師は家族に厳しい宣告をする
06:59分かりすぎればお弁当箱の中に豆腐を入れて
07:07ガチャガチャガチャって振ったような
07:11お豆腐はもうぐちゃぐちゃになって
07:14そういう衝撃が加わったCTです
07:18もしかしたらっていう曖昧なことは使わなかったと思います
07:23なくなりますと
07:25たとえ良くなったとしても意識は出ません
07:30そういう説明をさせてもらいました
07:32何とか一命は取り留めた純子さんに
07:38意識を取り戻してもらうため
07:41家族はあらゆる刺激を与え続けた
07:45何か思い出すかなと思って
07:49こういう毎日その三角筋に
07:51頭巻く三角筋に振っていったりしたし
07:55あとこういうCDのディスクの音楽のね
07:58いけるやつを凍たり
08:00動揺を聞かせたりとか
08:04それはじゃあ何かに反応してくれるかもって思った
08:08そうですね
08:09ただ単に周りで泣いて
08:13純ちゃん純ちゃんって言ってても
08:14多分純ちゃんもすごいしんどいやろうし
08:16プレッシャーやから
08:175ヶ月後奇跡ともいえる出来事が起きる
08:24純子さんが言葉を発した
08:27それはお母さんのひと言だった
08:32その後純子さんは自宅から程近い
08:43兵庫県西宮市の病院に移った
08:46時折笑顔は見せるものの
08:49会話を交わせるほどではなく
08:52母親の桃子さんは回復を喜ぶ一方で
08:57純子さんが発するある言葉に胸を痛めた
09:01時々声が出る時は
09:05なんでって言うんですよね
09:06なんでって
09:09純子さん
09:10なんで自分がここにいるのか
09:14なんでこうなったのか
09:16多分あの子の中には理解できてる
09:18違うかなと
09:19家族の願いは
09:25元の元気な姿に戻ること
09:31大きな天気になったのは
09:38プールでのリハビリ
09:40立ち上がって歩く感覚を
09:47思い出してもらうためだった
09:49親子でプールに入るスキンシップは
10:05互いの心を癒し合った
10:08噛んで
10:14食べて食べた方が元気になるから
10:17もうこれだけにした
10:18気がかりだったのは食事をしないこと
10:24事故直後
10:26口の中がガラス片で埋まっていた純子さんは
10:30生きるために飲み込まないようにしていたのか
10:33物を食べることを
10:36かたくなに拒否していた
10:38ところが事故から11ヶ月後
10:50退院して1週間が経った時
10:54純子さんが初めてプリンを口にした
11:21少しずつ食事をとるようになり
11:23笑顔も増えていった
11:25すみませんおはようございます
11:31退院して半年が過ぎた頃
11:33純子さんは事故の状況について
11:37詳しく話した
11:39電車に乗ってた時のことって
11:42覚えてます?
11:44途中で
11:45なんか要件もせんかった
11:48なんか変な方向に動いてるな
11:53と思って電車傾いてるなって思ったな
11:57電車が横向いてたの
12:01んでガーガーガーってなってんけど
12:05後は知らない
12:07分からないの
12:08このインタビューの後
12:15純子さんは事故について語ることはなくなった
12:20純子さんの脳のCT画像
12:25事故直後腫れ上がっていた脳は格段に回復していたが記憶障害が残った
12:33工事脳機能障害の症状の一つだ
12:37昔のことは覚えているのに5分前のことや人の顔や名前予定などを覚えられない
12:48純子さんの事故前後の記憶は薄らいでいった事故から10年解除を受けながら料理をする余裕も出てきたJR西日本とは保証交渉も終え区切りはつけた
13:12この時純子さんと母桃子さんが苦しんでいたのが記憶障害だ
13:20自分が何歳なのかなぜ障害があるのか周りに尋ねることが多く張り紙を用意した
13:31電車の事故については今覚えていますか全く覚えてない電車が事故をするという事実を信じられません
13:47まず現状を把握できていないので毎回同じところから何で車椅子なんだろうって思うし
14:03また勘弁を見てあっそうか事故したんだって思って
14:11その繰り返しですね無駄にしたくありませんね
14:18無駄な10年という風に片付けたくありません
14:29手先が器用で絵も得意だった
14:3330歳になって手に触をつけようと意気込んでいた時に事故にあった
14:39かつての自分を取り戻せるかもしれないと始めたのが陶芸だ
14:4720代の時趣味だった陶芸はリハビリにも適している
14:53自由な韓国です
14:57自分で何でもできる
15:00そんな韓国ですね
15:03母桃子さんは近所の人たちに声をかけ
15:11自宅の駐車場を改装して
15:14陶芸教室に使ってもらうことにした
15:18陶芸の先生も出張で月に1回来てくれることになった
15:26順子さんを中心に集まった仲間たち
15:28みんなの創作意欲も高まってきて
15:32純子さんを中心に集まった仲間たち
15:51みんなの創作意欲も高まってきて
15:54大きな目標を立てることにした
15:57作品展を開くこと
16:00しっかり踏み出した足に体重を乗ってから
16:04次の足
16:04週に1回歩くためのリハビリを続けて
16:09体は確実に回復している
16:12立ち上がって歩く感覚を少しずつ記憶していった
16:23かなり年数は経ってますけども
16:26運動面に関してはまだ伸びる余地はあるな
16:29というふうに思っています
16:31今回の個展を開くとか非常にいいことで
16:35そこでいろんな交流が生まれると
16:39また彼女のそういう社会性とかっていうところが
16:43どんどん伸びていくんじゃないかなと思う
16:45一昨年6月
16:58作品展に出すメインの大皿作りが始まった
17:035キロ分の土を使う対策だ
17:08右半身は今も動かしにくいが
17:213時間半集中して大皿の原型を作った
17:27これはどうしたらいいんですか
17:30もうちょっとだけで辛抱してくださいね
17:33了解です
17:33もうちょっとだけ
17:34こんな大きいのを私作ったっていうのが
17:42感激感動ですね
17:45いろんな方のお力を借りましたけど
17:51この日は絵付けだ
18:02純子さんは温かい海に住む隠れクマの実を描くことにした
18:09左右の手を使いながら慎重に慎重に描いていく
18:16この10年で純子さんは今の自分を受け入れるようになった
18:30電車の事故にあったという張り紙は
18:3840歳の時に書き直して以来そのままだ
18:42電車の事故でこうなったんだよって
18:47よく言ってたじゃないですか
18:50今はそういうのは言わないんですか
18:53言わないね
18:54あれからもう10年経ってるから早いなと思って
18:58だから10年経ったら記憶の中にやっぱり残っていってるというか
19:02私はなんでこんなになったっていうことはあまり聞かないですわ
19:07もう事故っていうのは分かってる
19:12ここはまだ決まってないと思うんですよ
19:15ここは水草にするつもりでグリーン
19:20書きながらちょっと考えてもらったらいいと思うんです
19:24大皿の絵付けが大詰めを迎えた
19:31ちょっとかわいらしすぎた
19:41かわいすぎるかも
19:43ちょっとねんねん手にしっくら
19:47ねんねん寝しすぎた
19:49ごめんおこない
19:51大皿がついに完成した
20:13見たらまた違うわ
20:20いやーすごいなー
20:23お父さん予約かけてくれてるんで
20:25ありがたい
20:26優れやな色だなー
20:28すごいよかったな純ちゃん
20:31でもこの魚が群れで泳いてるっていうことは記憶してます
20:37見えてるから
20:40それそうなん
20:42それ他の魚の背ぶれとかおびれとか
20:46うーん
20:47感性として忘れてはあかん
20:49人間の持ってるものが記憶として残ってることはすごく
20:53うん
20:54こうじんのこうじんのって言うけども
20:56そういう事故にあって記憶障害が残ってる子にしては
21:00結婚にしては本当にそういう所の一番大事な所が残ってくれたから私は本当に良かったなと思ったのも皆さんのおかげでここまでね本当にやってこれて本当に幸せです
21:17おととい作品展の初日を迎えたこれまで作ってきた作品70点が並んだ1年以上かけて制作した大皿は会場の真ん中に飾られた
21:40いろんな方の助けがあってここまで私は生きてこれたと感じてるんですありがたいです
21:57純子さんが描いたこれまでの20年支えられてきた自分の姿と重ねて記憶しておきたいと純子さんは話している。
22:16取材したMBS橋本紗友子記者ですお願いいたします
22:21事故から20年がたった今ですけれどもこの風化の影響は見られますか?
22:27当時、前の駅でオーバーランした運転手が遅れた時間を取り戻そうとスピードを出し過ぎたと言われていました。
22:35あの線路にはATS自動列車停止装置がついていなかったことや利益優先の企業体質も問題視されましたJR西日本では社員の7割が事故当時を知らないと言われていてこうした問題がどこまで理解されているのかが分かりません
22:52ことしは日光ジャンボ機の墜落事故40年にもあたります安全が当たり前だと思っている公共交通機関で時に安全を根底から覆す事故が引き起こされることもいま一度認識しておく必要があると思います
23:07障害とたたらい続けた純子さんの20年を見てきて橋本さん何感じましたか?
23:14取材に行くたびにこんなことができていると驚くことが本当に多かったです。記憶障害といっても何も覚えられないのではなくて何度も見聞きしたことや大切なことはしっかりと刻まれていると思うことがたびたびありました。
23:30驚異的な回復の一方で純子さん自身もご家族も大変な20年でした。ご遺族や負傷者の中には今はそっとしておいてほしいという方も複数います。事故では何が聖書を分けたのか分かりません。だからこそ覚悟を決めて生き抜こうと回復した姿を多くの人に見てもらって事故を忘れないでほしいという思いを強く感じました。
23:55ご視聴ありがとうございました。

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