今回は、冒頭で本人が言っているように噺家の余芸、曲独楽です。
桂米八さんは米朝師匠のお弟子さんですが、活動はむしろこの曲独楽が主でした。唯一の継承者でしたが、2015年に亡くなりました。
「イロモノ」という言葉がありますがあれは元々寄席用語で、多くの寄席では昔は落語ばかりかかっていましたので、落語以外の芸のことを色物と言いました。
今日のように漫才がホールのステージにかかる主な芸ということになりますと、今度は落語が色物ということになります。
いずれにせよ曲独楽がメインのステージというのは考えにくいので、どこへ行っても「色物」だったことには間違いありません。
米八さんのようにメインの芸にするか否かはともかく、昔は、特に大看板でない噺家さんは落語以外の芸が何かあるのは当たり前でした。真打ちがはねた後に観客が狭い出入り口に殺到するのを防ぐために余芸を披露するというような目的があったようです。
最後のほうに字幕が出ていますが、この映像は毎年恒例だった米朝一門顔見世大興行のTV放送から取ったものです。昔は年末の深夜にこれが放送され、年が明けたら昼間にやはり米朝一門の番組がありました。米朝師匠が長い番組ひとつの取りを務めるのが体力的にきつくなってきた頃に放送されなくなったようです。
なお、同じ米朝師匠のお弟子さんで米二さんという人がいますが、どういうわけか米八さんより弟弟子です。
桂米八さんは米朝師匠のお弟子さんですが、活動はむしろこの曲独楽が主でした。唯一の継承者でしたが、2015年に亡くなりました。
「イロモノ」という言葉がありますがあれは元々寄席用語で、多くの寄席では昔は落語ばかりかかっていましたので、落語以外の芸のことを色物と言いました。
今日のように漫才がホールのステージにかかる主な芸ということになりますと、今度は落語が色物ということになります。
いずれにせよ曲独楽がメインのステージというのは考えにくいので、どこへ行っても「色物」だったことには間違いありません。
米八さんのようにメインの芸にするか否かはともかく、昔は、特に大看板でない噺家さんは落語以外の芸が何かあるのは当たり前でした。真打ちがはねた後に観客が狭い出入り口に殺到するのを防ぐために余芸を披露するというような目的があったようです。
最後のほうに字幕が出ていますが、この映像は毎年恒例だった米朝一門顔見世大興行のTV放送から取ったものです。昔は年末の深夜にこれが放送され、年が明けたら昼間にやはり米朝一門の番組がありました。米朝師匠が長い番組ひとつの取りを務めるのが体力的にきつくなってきた頃に放送されなくなったようです。
なお、同じ米朝師匠のお弟子さんで米二さんという人がいますが、どういうわけか米八さんより弟弟子です。
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