• 8 年前
一番は◆源氏の熊谷次郎直実(なおざね)に
十四歳の若さでで打たれた平敦盛(あつもり)の
兜(かぶと)の裏には一棹の笛が。
「夜毎聞こえし笛の音はこのお方のものだったのか」
直実はこの時、世の、はかなさを感じ
敦盛の菩提を弔うため出家してしまいましす。
二番は◆平忠度は平家都落ちの時夜半、途中から都に引き返し
「もし今後、勅撰の歌集が作られるような事があれば
この中から一首でも載せてほしい」と
自詠の歌を師、藤原 俊成に託した。
◆一の谷の戦で岡部六弥太忠澄(おかべのろくやたただすみ)は討ち取った武将の箙(えびら)=(矢先を入れておく筒)に結び付けてあった歌、
「行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の主(あるじ)ならまし」を見て
平忠度(ただのり)だと知ったのです。

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