2014秋総集編 / ベルリオーズ「幻想交響曲」 Louis Hector Berlioz 鄭 明勳 Myung-Whun Chung, 정명훈

  • 10 年前
2014秋総集編 / ベルリオーズ「幻想交響曲」 Louis Hector Berlioz
チョン・ミュンフン, ベルリオーズ, パリ・バスティーユ管弦楽団  
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鄭 明勳(欧文表記:Myung-Whun Chung, 1953年1月22日 - )は韓国ソウル生まれの指揮者・ピアニスト。アメリカ国籍。ヴァイオリニストのチョン・キョンファとチェリストのチョン・ミョンファは実姉。かつてはチョン・ミュンフンと表記されていた。

公務員の父と料理店経営の母の下、7人兄弟の下から2番目(三男)として生まれる。幼い頃からピアノを学び、7歳でソウル市交響楽団(ソウル・フィル)とハイドンのピアノ協奏曲を共演するなど、早くから才能を開花させた。

1961年、母親がシアトルで韓国料理店を開くため一家で渡米(2人の姉は既にニューヨークで学んでいた)。1967年にはシアトルでリサイタルを開催している。1968年にニューヨークへ移り、1971年からマネス音楽大学でピアノをナディア・ライゼンバーグに、指揮をカール・ブラムバーガーに師事。同年、姉ミョンファがジュネーヴ国際音楽コンクールチェロ部門で第1位を獲得した際のピアノ伴奏を務めた。1974年 にアメリカ人としてチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門に出場し第2位に入賞。以後、指揮の勉強と並行してピアニストとして活動し、1979年にはシャルル・デュトワ指揮のロサンジェルス・フィルハーモニックとチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をデッカにレコーディングしている。

また姉のキョンファ、ミョンファとともに「チョン・トリオ」を結成しピアノを担当。チョン・トリオ名義ではドヴォルザークやブラームス、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲やベートーヴェンの三重協奏曲などをレコーディングしている。
目次

マネス音楽大学卒業後、1974年にジュリアード音楽院の大学院に進学し本格的に指揮の勉強を開始する。ジュリアード音楽院で歌劇「蝶々夫人」を指揮したほか、ニューヨーク・ユース・オーケストラの指揮者も務めた。1978年にロサンジェルス・フィルハーモニックでカルロ・マリア・ジュリーニのアシスタントとなって研鑽を積み、1980年に同団の副指揮者となる。1984年、ザールブリュッケン放送交響楽団の首席指揮者に就任。この頃からヨーロッパを中心に指揮活動を始め、1990年にはクラウディオ・アバドの芸術監督就任に抗議してキャンセルしたロリン・マゼールの代役としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にデビューしている。オペラ指揮者としては、1986年にヴェルディの歌劇「シモン・ボッカネグラ」でメトロポリタン歌劇場にデビュー。1987年にはフィレンツェ歌劇場の首席客演指揮者に就任した。

1989年、パリ・オペラ座(バスティーユ歌劇場)に、就任前に解任されたダニエル・バレンボイムの代わりに初代音楽監督として迎えられ、1990年にはドイツ・グラモフォンと専属契約を結ぶ。このパリ・オペラ座時代には晩年のオリヴィエ・メシアンと親交を持ち、1990年に録音されたトゥーランガリラ交響曲のCD解説をメシアン自身が執筆したほか、1994年に「コンセール・ア・キャトル」を世界初演する等、メシアンの死後も彼の作品の積極的な演奏・録音につとめている。1992年にはオペラ座での功績が認められ、フランス政府からレジオンドヌール勲章が授与された。

1994年、政治的理由によりパリ・オペラ座のポストを突如解任される。その後しばらくはフリーランスとして活動していたが、1997年にローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任。湖巌賞芸術部門受賞。1998年には韓国のKBS交響楽団の音楽監督に就任するも翌年辞任。2000年、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任している。

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